伝記
バースカラ2世は、1114年に生まれ、1185年に没したインドの数学者、天文学者である。7世紀の同名の数学者と区別するために2世と呼ばれ、「バースカラ先生」を意味するバースカラーチャーリヤとも呼ばれる。西ガーツ山脈地方に住み、現在のマハーラーシュトラ州ビード県にあたるビッジャダ・ビーダで、バラモンの家に生まれたとされる。当時のインド数学の中心地であったウッジャインの天文台で台長を務めた。前任者には、ブラーマグプタやヴァラーハミヒラがいる。
家は代々、宮廷学者の地位を世襲していた。父マヘーシュヴァラは占星術師で、バースカラに数学を教え、バースカラはその学問を息子ローカサムドラに伝えた。ローカサムドラの息子は、1207年に学校の設立を助け、そこでバースカラの著作が研究された。主著は、主に算術を扱う『リーラーヴァティ』、代数学の『ビージャガニタ』、1150年の天文学書『シッダーンタ・シローマニ』である。『シッダーンタ・シローマニ』は球面と惑星の数学の2部構成になっている。
『リーラーヴァティ』の書名には伝説がある。バースカラが、娘リーラーヴァティのホロスコープを調べると、結婚できないという結果が出た。特定の時刻に新郎を迎えれば運命を逃れられるとわかり、水時計でその瞬間を待った。ところが娘が好奇心から水時計をのぞき込み、衣服の真珠がカップに落ちて底の穴をふさぎ、時を逃した。そこで彼は、娘の名を書名にして慰めたという。この話は、1587年のファイズィーによるペルシア語版の序文に初めて現れる。1816年の英訳者は、この伝説を現地の人々から確認できず、ヒンドゥー教徒の著者の言及もないと記している。1812年にハットンの著書に紹介されて西洋とインドで広まり、いまではバースカラの業績より有名なくらいである。詩文中には、リーラーヴァティという女性へのよびかけがたびたび現れるものの、それが自分の娘へのものとしては不自然だと指摘されている。
数学の面では、バースカラは多くの成果を残した。『ビージャガニタ』は、正の数に正負の2つの平方根があることを最初に示した文書とされる。直角三角形の斜辺を求める二つの方法を述べ、どちらもピタゴラスの定理の証明とみなせる。「見よ!」とだけ述べて図を示したという伝説があるが、実際には説明があり、伝説は誤りだと数学史家は指摘している。整数解を求めるクッタカ法や、二次の不定方程式を解くチャクラバーラ法を扱い、後者は1657年に別の学者が解いた方程式の解法より簡潔だったという。ゼロの性質、負数や無理数、円周率の近似値、利子計算、順列と組合せなども扱った。
『シッダーンタ・シローマニ』には、正弦関数の表や各種の三角関数の関係が記され、球面三角法も発展させた。微分法のいくつかの考え方も知っていたとみられ、正弦関数の導関数にあたる結果も得ていた。関数が極値をとるとき微分係数がゼロになることを示唆し、ロルの定理の原型も見られる。ただし、それを一般化して使うには至らなかったため、数学史家から一般に無視されてきたという。有限の数をゼロで割ると無限大になるという考え方も示したが、現代の数学では、ゼロによる除法は定義できず、計算は不可能であるとされている。
同じ年に亡くなった人物
- リクサ・シロンスカ (1185年没)
- イブン・トファイル (1185年没)
- ルキウス3世 (ローマ教皇) (1185年没)
- アフォンソ1世 (ポルトガル王) (1185年没)
- ヨハネス・キンナモス (1185年)
同じ地域に関係する人物
- マーダヴァ (1425年没)
- ベーラム (タギー) (1840年没)
- ラクシュミー・バーイー (1858年没)
- アヒリヤー・バーイー・ホールカル (1795年没)
- フスロー (1622年没)