伝記
スヴェン3世は、デンマーク王(在位1146年から1157年)である。エーリク2世の庶子で、母は側室のトゥンナといわれ、1125年ごろに生まれた。父がデンマークの王位をめざして王ニルスと戦っていた1130年代なかばには、父とともにノルウェーにいたという。1137年に父が地方の貴族に殺されると、王位は従兄のエーリク3世が継ぎ、スヴェンはドイツへ逃れて皇帝の宮廷に送られた。そこで、のちのフリードリヒ・バルバロッサと親しくなったとされる。
1146年にエーリク3世が退位すると、スヴェンはシェラン島の有力な貴族に王として擁立された。同じとき、従弟のクヌーズ5世もユトランド半島で王となり、内戦が始まった。スヴェンは従弟のヴァルデマー(のちのヴァルデマー1世)と手を組んで優勢に立ち、クヌーズを擁立したルンド大司教エスキルも、スコーネとボーンホルム島の土地を保有できることを条件に寝返った。1147年にはヴェンド十字軍にクヌーズとともに加わったが、スヴェンがヴェンド人と海戦をした際、クヌーズの助けはわずかで、旗艦を失った。十字軍が解散すると内戦はふたたび始まった。スヴェンはフュン島とユトランドの大部分を征服し、ヴァルデマーをシュレースヴィヒ公に封じた。クヌーズを助けていたホルシュタイン伯アドルフ2世とも戦った。1150年にクヌーズを追放したが、翌年クヌーズはドイツの軍勢を得て戻り、ふたたび退けられた。1152年にはフリードリヒ1世に忠誠を誓い、王の称号を認められた。ただし、クヌーズにはわずかな領地しか与えず、取り決めは崩れた。この年、マイセン辺境伯コンラート1世の娘アデラと結婚し、息子エーリクと娘ルートガルドの2子を儲けた。専制的なふるまいと親ドイツの傾向のために、スヴェンのデンマークでの立場は悪くなっていった。
1154年、クヌーズとヴァルデマーが同盟して反撃した。エスキルをはじめとする多くの支持者がスヴェンを見捨て、彼はドイツへ亡命して3年を過ごした。1157年にザクセン公兼バイエルン公ハインリヒ獅子公の援助を受けて帰国し、クヌーズ、ヴァルデマーと和睦した。3人でデンマークを共同で治めることとなり、スヴェンはスコーネを統治することに合意した。8月9日、スヴェンはロスキレで祝宴を開き、その席でクヌーズを殺した。ヴァルデマーは側近のアブサロンとともにユトランドへ逃げのびて、軍勢を率いて反撃に出た。10月23日、グラーテ・ヘーゼの戦いで敗れたスヴェンは、逃げようとして泥に馬の足をとられて落馬し、農民たちに殺された。デンマークはヴァルデマー1世の単独統治となり、内戦は終わった。
同じ年に亡くなった人物
- エイステイン2世 (ノルウェー王) (1157年没)
- マファルダ・デ・サボイア (ポルトガル王妃) (1157年没)
- コンラート1世 (マイセン辺境伯) (1157年没)
- ユーリー・ドルゴルーキー (1157年没)
- アフマド・サンジャル (1157年没)
同じ地域に関係する人物
- レオノール・デ・ポルトゥガル (デンマーク王妃) (1231年没)
- ビルイェル (スウェーデン王) (1321年没)
- ゲルハルト3世 (ホルシュタイン=レンズブルク伯) (1340年没)
- ポウル・マルティン・ムラ (1838年没)
- オーロフ1世 (デンマーク王) (1095年没)