伝記
エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグは、1843年6月15日にスウェーデン統治下のノルウェーのベルゲンで生まれ、1907年9月4日に没したノルウェーの作曲家である。ノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された。5人きょうだいの第4子で、兄1人、姉2人、妹1人がいた。父方の曾祖父アレクサンダーは、1779年にノルウェーに帰化したスコットランドのアバディーンシャー出身の人で、一族の姓はもとはグレッグという綴りだった。兄ヨーンも同じ音楽院で学んでチェロを演奏したが、職業的な音楽家にはならず、グリーグは兄のためにチェロ・ソナタを作曲した。小柄で、生前は卓越した技巧のピアニストとしても知られ、自作を携えてヨーロッパをたびたび演奏旅行した。
1858年、母方の遠縁であるヴァイオリン奏者で作曲家のオーレ・ブルに才能を見出され、3年半にわたってライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学んだ。1863年からの3年間はデンマークのコペンハーゲンに住み、作曲家ニルス・ゲーゼに学んだ。この間に、交響曲(作品番号なし)、ピアノ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ第1番などの初期の作品が書かれた。のちに、同じノルウェーの作曲家ヨハン・スヴェンセンの交響曲を聴いて、自作の交響曲を封印したという話が伝わる。また、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップと出会い、1867年に結婚した。後年の歌曲は、ほとんどがニーナのために作曲された。
1867年にクリスチャニア(現在のオスロ)のフィルハーモニー協会の指揮者に就き、民謡の収集家リンネマンや国民的詩人ビョルンソンと親交を結んだ。『十字軍の王シーグル』の劇音楽を作り、重要な作品『抒情小曲集』の第1集を出版した。1868年にはピアノ協奏曲イ短調を書き、この曲は生涯のうちに何度も改訂された。1874年、イプセンに戯曲『ペール・ギュント』の付随音楽の作曲を依頼された。はじめは冒険物語に困惑したが、芸術的な自由を保障するというイプセンの手紙に意気を感じ、ベルゲン近くの湖畔に小屋を借りて作曲に専念した。1876年2月24日にクリスチャニアの劇場で初演され、大喝采を受けて、グリーグの名声はヨーロッパに広がった。その中から8曲を選んで、2つの組曲にまとめた。
1877年から1880年まで、ベルゲンの東のハルダンゲル地方に住み、次第に民族音楽や民族楽器に傾倒した。1884年にはベルゲン近郊のトロールハウゲン(妖精の丘)に住居を建て、劇作家ホルベアの生誕200年のため、ピアノ組曲『ホルベアの時代から』を作った。翌年には弦楽合奏に編曲した。本領は『抒情小曲集』と多数の歌曲などの小品に発揮され、ピアノのための小品を数多く書き、「北欧のショパン」とも呼ばれる。1901年から健康が悪化し、1903年にパリで、ピアニストのラウル・プーニョに誘われて自作を録音した。1905年のノルウェー独立を見届けた翌1906年にも録音し、全9曲の自作自演を残した。1907年、心不全のためベルゲン市内の病院で亡くなった。遺言により、トロールハウゲンの住居の下にある、湖を望む岩壁に墓が設けられ、妻ニーナとともに眠っている。小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを終生大切にし、演奏会ではポケットの中で蛙の置物を握りしめたという。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
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- マグヌス6世 (ノルウェー王) (1280年没)
- アレクサンダー・ヒェラン (1906年没)