伝記
ステパノス・アソギクは、中世アルメニアの歴史家で、『世界史』を著した人物である。タロン出身を示すタロネツィという名でも呼ばれる。正確な生年は分からず、タロンの公家に属したとは考えられていない。修道院で教育を受けたらしく、初めは修道士の共同体で暮らし、後にアラガツ山麓のニグ地方へ移ったとされる。そこではテゲニクの庵に近い場所で、エレミアという修行者と生活した。若いころバグラト朝の都アニで学び、長く下位の聖職者を務めたとする説もあるが、確かなことではない。また、カトリコスのハチク1世がアルギナに保管する写本を集める際、その探索を手伝った可能性がある。
990年代のある時点で、ハチク1世の後継者サルギス1世から歴史の執筆を命じられた。執筆に関わる時期には、デルジャン地方のフラゾル修道院を訪れ、調査を行ったとされる。この地方は現在のトルコのテルジャン周辺にあたる。アルメニアの修道院について幅広く知っていたことから、ほかにも多くの修道院を訪ねたと考えられている。こうして1004年、または1005年初めに、全3巻からなる『世界史』を完成させた。創造の時から自身の時代までを扱うこの書では、アルメニアだけでなく、その外の世界の出来事も叙述した。各巻の長さは異なり、それぞれが章に分けられている。
第1巻は5章からなり、アダムに始まってアルメニア王ティリダテス3世の治世の始まりに至る。第2巻は6章で、同王の時代から884年のバグラト朝アルメニア王国成立までを扱う。第3巻は48章と結語を備え、1004年ないし1005年までを続けて記す最も長い巻である。前半の二巻では聖書、ヨセフス、エウセビオス、モヴセス・ホレナツィら先人の著作を多く用い、第3巻、とくに自らの生きた時代を扱う部分では独自の叙述が増えている。各章の中を政治の出来事、宗教の歴史、学者や著述家についての記述の順に分ける構成も特徴である。第3巻のおよそ半分は、ハチク1世の命でセバステイアの正教会の府主教に宛てて書かれた、アルメニア教会の信仰告白が占める。当時はキリストの二性と一性をめぐる論争が再び激しくなっていた。
晩年や没年の詳細は明らかでない。アソギクという呼び名は、小さな語り手、教会の歌い手、あるいは物語を語る者という意味に解される。後の11世紀の歴史家アリスタケス・ラスティヴェルツィは、単にステパノス・タロナツィと呼んだ。グリゴル・マギストロスが言及する、エレミヤ書の注解を著した非常に高齢のアソグニクと、同一人物だとする見方もある。しかし同一視は確かめられておらず、同名に近い別の注解者との混同の可能性が指摘されている。12世紀のサムエル・アネツィはアソグニクの形を用い、後の歴史家たちはアソギクという形を広く使った。後の研究者ティム・グリーンウッドは、現存しないビザンツの年代記も執筆に用いたと考えている。ロバート・トムソンは、第3巻を一貫した物語よりも個別の挿話が続く構成と捉えた。その『世界史』は、先行するホヴハンネス・ドラスハナケルトツィの歴史と、後続するアリスタケスの歴史の間に位置する時代を扱っている。
同じ年に亡くなった人物
- ナローパ (1100年没)
- のっぽのトルケル (1100年(推定))
- ゲオルギオス・ケドレノス (1100年没)
- ゴドフロワ・ド・ブイヨン (1100年没)
- ボージャ王 (1100年没)
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