HISTORICAL PERSON · 1097年没

アニェス・ダキテーヌ (1072-1097)

アラゴン王・ナバラ王ペドロ1世の妃。夫の即位により王妃となったが、生まれた2子はいずれも早世し、自身も若くして死去した。

生涯
1097年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アニェス・ダキテーヌは、1072年末に生まれたアキテーヌ公家の女性である。父はポワティエ伯でもあったアキテーヌ公ギヨーム8世、母はその3番目の妃イルドガルド・ド・ブルゴーニュであった。ポワティエのアニェスとも呼ばれる。父方の祖父母はアキテーヌ公ギヨーム5世と、その3番目の妻であるブルゴーニュのアニェスである。母方の祖父母はブルゴーニュ公ロベール1世と、その2番目の妻エルマンガルド・ダンジューであった。母はカペー家の血を引く女性で、アニェスは両親の間に生まれた最初の子とされる。父を同じくする異母姉にもアニェスという名の王妃がおり、レオンまたはカスティーリャの王妃として知られるこの女性とは、しばしば取り違えられている。

1081年、アニェスはペドロと婚約した。相手はアラゴン王・ナバラ王サンチョ1世の息子で、後にペドロ1世となる王子であった。王子はこのころおよそ13歳だったという。二人の結婚は1086年1月、当時のアラゴンの都ハカで行われたとされる。挙式の場所は同市の大聖堂であった。アニェスが嫁いだのは、ヒメノ家の王統につながる家である。二人の間には息子ペドロと娘イサベルが生まれた。夫がアラゴンとナバラの両王位を継いだのは1094年であり、アニェスもこの即位によって王妃となった。

アニェスは1097年6月6日に死去したとされ、年齢はおよそ24歳であった。ただし没年には1095年とする説もある。死後、ペドロ1世はベルタという女性と再婚した。ベルタの出自は明瞭ではなく、サヴォイア伯ピエール1世の娘とも、ポワティエ家の女性でアニェスの親類ともいわれる。息子ペドロは1098年、エル・シッドの娘マリア・ロドリゲスと結婚したが、1103年に没したとされる。娘イサベルも1104年に死去したとされ、二人の没年を逆に伝える説もある。いずれも父より先に世を去った。ペドロ1世はベルタとの結婚でも子を得られず、王位は夫の弟アルフォンソ1世へ移り、その後はさらに弟のラミロ2世が継承することとなった。

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