伝記
スノッリ・ソルフィンソンは、探検家ソルフィン・カールセフニとグズリーズ・ソルビャルナルドッティルの息子で、北アメリカのヴィンランドで生まれたとされる。生年には一〇〇五年、一〇〇九年、一〇一二年などの説があり、おおむね一〇〇四年から一〇一三年の間と考えられている。グリーンランドをアメリカ大陸から除いて考えた場合、アメリカで生まれたことが知られるヨーロッパ系の最初の子供とされる。スノッリという名は戦いを意味する古ノルド語に由来し、父称はソルフィンの息子という意味である。名は曾祖父スノッリ・ソールザルソン、あるいは父の遠征の参加者スノッリ・ソルブランズソンにちなむといわれる。
ヴィンランドの物語では、スノッリが三歳の時、家族は先住民との対立のため当地を離れた。帰還後はアイスランドのスカガフィヨルズル地方、セイルフレップルのグラウムバイル農場に住んだとされる。スノッリには息子ソルゲイルと娘ハルフリーズがいた。ソルゲイルは一〇三六年、ハルフリーズは一〇四〇年に生まれたとされる。娘はのちのスカールホルト司教ソルラク・ルーノールフソンの母となった。また、ソルゲイルの娘イングヴィルドからは、のちのホーラル司教ブランド・セームンダルソンが生まれた。弟ソルビョルンの子孫にもホーラル司教ビョルン・ギルソンがいた。
スノッリはアイスランドのキリスト教化に関わった人物として伝えられる。グラウムバイルで最初の教会を建てたとされ、この教会は地域でキリスト教の影響が強まることにつながった。子孫たちはアイスランド初期の司教となり、同島の最初のキリスト教法典を公にした。スノッリ自身は一〇九〇年ごろに没したとされる。十三世紀には、スノッリ・ソルグリムソンと並んで、初期のキリスト教化を担った主要人物と考えられた。十三、十四世紀の著述家たちは二人をキリスト教徒の首長の模範として描いた。
十九世紀には彫刻家ベルテル・トーヴァルセンがスノッリの子孫であると称した。二〇〇二年、アイスランド北岸では約千年前のロングハウスの遺構が発見され、スノッリの農場の建物ではないかと考えられた。発見場所はソイザウルクロウクルの村の外、グラウムバイルの民俗博物館近くである。それまでは博物館の敷地そのものが農場跡と考えられていた。スノッリの名は、北アメリカへ移住したアイスランド人の歴史を扱い、若者や成人向けの交流を行う非営利のスノッリ・プログラムにも用いられている。
同じ年に亡くなった人物
- エクベルト2世 (マイセン辺境伯) (1090年没)
- ポワチエのウィリアム (1090年没)
- チャカス (1090年代没)
- アーデルハイト・フォン・ラインフェルデン (1090年没)
- ロベール (モルタン伯) (1090年代没)
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