HISTORICAL PERSON · 紀元前238年没

アンドラゴラス

セレウコス朝のパルティア総督。内紛に乗じて独立を宣言し自らの肖像入り硬貨を発行したが、アルサケス1世に討たれた。

生涯
紀元前238年没
死亡地
イラク共和国(ディヤーラー県 / パルティア)
出生地
—
出典
世界地図
イラク共和国(ディヤーラー県)

伝記

アンドラゴラスは、紀元前238年に没したセレウコス朝のサトラップ(総督)で、アンティオコス1世とアンティオコス2世に仕えてパルティアを治めた人物である。イラン系の出身とされ、のちにセレウコス朝から独立して統治したが、その治世は数年で終わった。

前半生はほとんど知られていない。名はまれなもので、古代ペルシア語のナリサンカ、アヴェスター語のナイリヤ・サンハ(アフラ・マズダの使者の一人)をギリシア語に訳したものかもしれないという。ヒルカニアのゴルガーンで見つかった紀元前266年より前のギリシア語碑文には、まだ総督となる前の身分の低いアンドラゴラスと思われる人物の名が見える。この名の人物はエジプトのプトレマイオス朝のギリシア語パピルスにも現れるだけで、同一人物とみなすのは無理ではないとされる。なおユスティヌスは、アレクサンドロス大王の時代にペルシア系のパルティア総督としてアンドラゴラスの名を挙げるが、当時の総督はプラタペルネスであり、これは誤りとされる。

アンドラゴラスは、アレクサンドロス大王が紀元前330年に隣のヒルカニアと合併させた辺境の州パルティアの総督に任じられた。この地には中央アジアからイラン系の移民が波のように流れ込み、なかでもアルサケス1世に率いられたパルニ族が目立っていた。

紀元前245年ごろ、セレウコス2世の治世に、セレウコス朝が第三次シリア戦争でプトレマイオス朝との争いに巻き込まれている隙に、アンドラゴラスは独立を宣言した。バクトリアのディオドトスが同じころ離反してグレコ・バクトリア王国を建てており、彼とは同盟を結んだとみられる。独立は貨幣にも表れ、自らの名と王のしるしである頭の飾り帯をつけた肖像を刻んだ金貨などを発行した。ただし王の称号は用いず、セレウコス朝と完全には絶たなかったようである。

セレウコス朝の軍事的な支えを失った彼は、国境の維持に苦しんだ。紀元前239年から238年ごろ、アルサケス1世に率いられたパルニ族がパルティアに侵入し、まず北部で、クチャンを中心とするアスタベネを奪った。このころセレウコス2世は弟アンティオコス・ヒエラクスと戦っており、救援は望めなかった。ほどなくパルニ族はパルティアの残りも奪い、アンドラゴラスは敗れて殺された。ヒルカニアもまもなくパルニ族に征服された。この敗北により、バクトリアの支配者たちの領土はセレウコス朝の勢力圏からいっそう遠ざかり、メディアとマルギアナを結ぶ王の道も断たれたという。

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