伝記
アンリ2世は、1020年頃に生まれたルーヴァン伯で、父は同伯ランベール2世、母はオード・ド・ヴェルダンである。母はロートリンゲン公ゴツェロ1世の娘であり、その兄弟には教皇ステファヌス9世と、髭公と呼ばれたロートリンゲン公ゴットフリートがいた。父方ではルーヴァン伯ランベール1世とゲルベルガ・ド・ロレーヌの孫にあたる。父ランベール2世が伯位を継いだ経緯には、兄アンリ1世の後を継いだという伝承と、短い治世の後に死去した甥オトンから継承したという伝承がある。
1054年に父が死去すると、長男のアンリ2世が後を継ぎ、ルーヴァンとブリュッセルの伯となった。治世について伝わる出来事は少ないが、1071年にはエノーのリシルドを支援してフランドル伯ロベール1世と対立した。ロベールはフリース人の異名で知られる伯である。1078年のブリュッセルの聖堂参事会に関する証書には、アンリが弟レニエとともに現れる。アンリの死は1078年とも1079年ともされ、ニヴェルの聖ゲルトルート修道院に葬られた。伯位は長男アンリ3世が継いだ。
妻はアデル、またはアデライードと呼ばれる女性で、その出自は確定していない。バタヴィアの伯エヴェラールの娘とも、タイステルバントの伯家の出身ともされる。夫妻の子には、後継者アンリ3世のほか、ゴドフロワ、アルベロン、イードがいた。アンリ3世はフランドル伯ロベール1世とゲルトルート・ド・サックスの娘ゲルトルートと結婚した。ゴドフロワはルーヴァンとブリュッセルの伯となり、のちに下ロートリンゲン公を兼ねた。アルベロンはリエージュ司教となった。娘イードは、父が支持したリシルドの次男で、エノー伯となるボードゥアン2世と結婚した。
アンリの死後、未亡人アデライードは夫の魂のため、ユトレヒトの教会に寄進を行った。また、息子アンリ3世、ゴドフロワとともにアフリヘム修道院の創設者に名を連ねた。この修道院の創設者としてのアデライードは、1147年の教皇エウゲニウス3世の文書にも、尊敬される寡婦として記されている。アンリの家系は、こうした妻子の婚姻、世俗の伯位や公位、司教職、修道院への寄進を通じて伝わっている。
同じ年に亡くなった人物
- ミカエル・プセルロス (1078年)
- イネス・デ・アキタニア (1059-1078) (1078年没)
- ベルトルト2世 (ケルンテン公) (1078年没)
- リッカルド1世・ドロゴーネ (1078年没)
- ピエトロ1世・ディ・サヴォイア (1078年没)
同じ地域に関係する人物
- エロワ・ムランベール (1989年没)
- Jean Van Steen (2013年没)
- アルフレッド・コグニオー (1916年没)
- Joseph Albert Malula (1989年没)
- トゥーツ・シールマンス (2016年没)