HISTORICAL PERSON · 1900年没

ウラジーミル・ソロヴィヨフ (哲学者)

1881年にナロードニキの死刑に反対する講演をして大学を追われた19世紀ロシアの哲学者・詩人。東西のキリスト教統一を目指して普遍教会を唱え、ベルジャーエフやロシア象徴主義の詩人に影響した。

生涯
1900年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ / ウズコイェ)
出生地
ロシア連邦(モスクワ)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ)

伝記

ウラジーミル・セルゲーエヴィチ・ソロヴィヨフは、1853年1月28日にモスクワで生まれ、1900年8月13日に没した19世紀ロシアの哲学者・文明批評家・詩人である。父は歴史家セルゲイ・ソロヴィヨフ、兄は幻想的な歴史小説で活躍した流行作家フセヴォロドである。父方の祖父は正教会の司祭で宗教の教師でもあり、母ポリクセナの家は、ウクライナの系統で、哲学者スコヴォロダと縁続きだった。12人の子の4番目で、成人したのは8人だった。幼年期と青年期は、モスクワと、近郊の一家の領地ポクロフスコエで過ごした。9歳のとき、金色がかった青に包まれた女性の幻を初めて見た。のちに、彼はこれを神の叡智ソフィアだと考えた。

1864年にモスクワの第5ギムナジウムに入り、13歳から18歳までは深い宗教的危機を経験し、ニヒリズム的な無神論に近づいた。1869年から1873年まで、モスクワ大学で歴史・文学、物理数学などの学部を渡り歩いた。プラトンやスピノザ、カント、ヘーゲルなどを読み、ベーメやスウェーデンボリら神秘思想の著作にも親しんで、再びキリスト教に戻っていった。1874年に『西欧哲学の危機』でマギスターの学位を得て、保守的なスラヴ派の支持と、自由主義的な西欧派の反発を受けた。1875年、研究の旅に出てロンドンの大英博物館で調べものをしていたとき、ソフィアの大きな幻視を経験し、それが以後の発展を決定づけた。この幻視のために、エジプトにも渡り、砂漠でも再び見た。1876年には外交官の妻ソフィア・ヒトロヴォと出会い、その具体的な女性の姿に永遠のソフィアの輝きを予感した。人妻であったため苦しみ、その情熱が穏やかになったのは10年後の1886年である。1880年に『抽象的原理批判』でドクターの学位を取った。サンクトペテルブルク大学で一時哲学を教えたが、1881年にナロードニキの死刑に反対する講演を行ったため、大学を追われて文筆活動に入った。

ソロヴィヨフの根本傾向は「普遍主義」で、部分が全体から分離せず、抽象も自己主張も存在しない統一体、神的宇宙を直観した。美・知・善は三位一体であり、切り離された諸原理は部分的真理を含み、最高の神的原理に再統合されて、全てを包括する統一が完成すると考えた。かつてイエス・キリストに神性と人間性の完全な結合が現れたように、人類や社会が集合体として「神人」化しうるとも述べた。1880年代には、西欧とロシアのキリスト教の統一をめざし、普遍教会を唱えた。しかし1890年代以降は、理想的な教会の実現が不可能だと悟り、神秘的傾向が強まって、アンチキリストの到来と世界の終末を予感しつつ世を去った。晩年は人間の進歩に幻滅し、「神の国」は歴史の終わりにのみ実現するという黙示録的な解決に傾いた。主な著作に『神人についての講義』(1881年)、『ロシアと普遍教会』(1889年)、『善の基礎づけ』(1894年)、『三つの対話』(1900年)がある。

美学では、芸術の役割を、美という手段による神の啓示を捉えることとし、叙情詩に高い地位を与えた。その思想はベルジャーエフに影響を与え、文学理論はヴャチェスラフ・イヴァーノフ、ブローク、ベールイなどのロシア象徴主義の詩人たちに信奉された。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物