伝記
ピレモンは、古代ギリシアの新喜劇を代表する詩人・劇作家である。紀元前362年ごろから紀元前262年ごろまで生きたとされる。生地は小アジアのキリキアのソロイともシチリアのシラクサともいわれ、はっきりしない。早い時期にアテナイへ移り、紀元前330年にはすでに喜劇作者として上演を行っていたことが知られる。
エジプトでプトレマイオス2世フィラデルフォスのもとに短く滞在したことを除けば、生涯の大半をアテナイで過ごした。喜劇の競演では、年下の同時代人で好敵手のメナンドロスにたびたび勝利し、きわめて高い人気を得た。メナンドロスの繊細な機知は、当時のアテナイの人々にはあまり好まれなかったらしい。アウルス・ゲリウスはこの勝利を追従や買収によるもので不相応だと見なし、アプレイウスは恥ずべきものと評した。もっとも、アプレイウスは彼を劇作家としてメナンドロスより劣るとしながらも、気のきいた表現、うまく組まれた筋、自然に導かれる再会の場面、人生を映し出す思想が多いと認めている。彼の喜劇は上品さと節度をもって知られ、ライバルのディピロスが好んだ卑猥な冗談は見られなかったという。
作品は97編を書いたとされるが、現存するものはない。そのうち57編が、断片または題名のみによって知られている。題名には「兄弟たち」「田舎者」「物乞いの祭司」「寡婦」「結婚」「取り替え子」「コリントの女」「石工」「哲学者たち」「門番」などもあり、ほかに「商人」「宝」「幽霊」「医者」「兵士」「へつらい者」などがあり、ローマの喜劇作者プラウトゥスは、「商人」から『メルカトル』を、「宝」から『トリヌンムス』を翻案した。『幽霊』(ファスマ)をもとにして『モステッラリア』が書かれたともいわれる。のちの時代にはメナンドロスの洗練された作風のほうが好まれ、ピレモンの作品は断片しか残らなかった。写本も見つかっていない。ただし、後2世紀には彼の像が建てられた。アレクサンドリアの古典作家の正典にも数えられている。
彼はほぼ百歳の高齢まで生き、知力は衰えなかったといわれる。死については伝えが分かれる。プルタルコスによれば、アレクシスと同じく、舞台上で冠を授けられようとするときに息を引き取った。アプレイウスは、最新作の朗読が雨で中断され、待ちかねた観客が作者を捜したところ、自宅で最後の作品の原稿を手にして死んでいるのが見つかったと語る。ほかに、自分のために用意されたイチジクをロバが食べるのを見て、笑い死にしたという話もあるが、同じ死に方が哲学者クリュシッポスにも伝えられるため、疑わしいとされる。
同じ年に亡くなった人物
- アクロタトス (スパルタ王) (紀元前262年没)
同じ地域に関係する人物
- クラティノス (紀元前425)
- アリュバス (エピロス王) (紀元前342年没)
- ティマレテー (紀元前400)
- Ioannis Paleokrassas (2021年没)
- ゲオルギオス・ラリス (2006年没)