伝記
クラティノスは、アテナイの古喜劇の詩人である。紀元前519年ごろから紀元前422年ごろまで生きたとされ、没年については紀元前423年の上演のあと間もなく、非常な高齢で世を去ったとも伝わる。アリストパネス、エウポリスとともに、アテナイ古喜劇の三大詩人の一人に数えられた。
個人的な経歴はほとんど分かっていない。父の名はカリメデスで、自身は歩兵部隊の指揮官を務めたとされる。スーダ辞典は、彼を不道徳で極端に臆病、しかも常習的に酒に溺れる人物と非難している。同時代の人々の記述にこれを裏づけるものはないが、酒に溺れたという点だけは、アリストパネスらの多くの箇所で確かめられる。クラティノス自身も、自らの酒癖を作品『ピュティネ』で愉快な題材として扱ったようである。
上演の記録によれば、彼は27回の勝利を収めている。ディオニュシア祭では8回、レナイア祭では3回である。ディオニュシア祭での最初の勝利は紀元前450年代の半ばから後半、レナイア祭での最初の勝利は紀元前430年代の初めごろと見られる。21の喜劇を書いたとされ、現在は29の題名と、514の断片が残っている。直接的で力強い政治風刺を特色とし、ペリクレスを狙った風刺劇『ディオニュサレクサンドロス』の梗概が、オクシリンコス・パピルスから見つかっている。ほかに『アルキロコスたち』『ブーシリス』『ネメシス』『法律』『ケイロンたち』など多くの作品名が知られる。
文体はアイスキュロスに例えられた。高尚な言葉づかいと大胆な比喩を好み、抒情的な部分に最も成功したとされる。コロスの歌は当時の祭りで人々に歌われたという。一方で、詩は優雅さに欠け、荒々しく、粗野な罵倒に傾くとも評された。それでもヘレニズム期とローマ期を通じて、作品は読まれ、研究され続けた。
最も有名な作品が『ピュティネ』(酒瓶)である。紀元前424年、アリストパネスは『騎士』で、クラティノスを冠のしおれた、世に忘れられて喉の渇きを癒す酒すら手に入れられない耄碌した老人として描いた。これに答えるように、クラティノスは紀元前423年に『ピュティネ』を上演した。この作品は、同じ年に上演されたアメイプシアスの『コンノス』とアリストパネスの『雲』を破って、ディオニュシア祭で優勝したという。この上演のあと間もなく、およそ97歳の高齢で亡くなったと伝えられる。そのほか、紀元前425年のレナイア祭で『嵐に悩む人々』が、紀元前424年のレナイア祭で『サテュロスたち』が、それぞれ2位となった。喜劇の俳優を3人に増やしたとする説もあるが、出典に疑問があり、アリストテレスの記述にも裏づけられていない。
同じ年に亡くなった人物
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