伝記
ローザ・ボヌールは、1822年3月16日にボルドーで生まれたフランスの写実主義の画家・彫刻家である。本名はマリー・ロザリー・ボヌールで、動物の姿をありのままに捉えた作品を数多く残した。父は画家のレーモン・ボヌールで、母のソフィアはピアノの教師だった。母は父親が不明のままボルドーの富商の養女となっており、ローザは母の出生の裏に何らかの秘密があり、自分は高貴な血筋ではないかと想像するのを好んだが、現在はその富商が母の実の父だったと判明している。2人の弟オーギュストとイシドール、妹ジュリエットも芸術家になった。父はボルドーで亡命中のゴヤと親交があり、子供たちに絵を勧めて援助し、ローザは画家としての基礎を父から学んだ。幼いころから落ち着きがなく、いくつもの小学校を退学になった。「私は誰よりも男の子だった」と語り、成長してからは髪を短くして葉巻を吸った。1829年に一家はパリへ移り、母は11歳のときに亡くなった。この母を生涯慕い、歌を愛した。
母の死後、小学校に通い、裁縫の見習いや寄宿学校を経て、父のアトリエに迎えられ、そこで才能を現した。父が唯一の教師だった。父を通じて、動物にも魂があると説くラムネーや、ジョルジュ・サンドの田園小説に触れ、動物を絵と彫刻の専門とするようになった。1841年に初めてサロンに出品し、1845年に3等メダル、1848年に金メダルを受けた。翌年には政府の注文で描いた『ニヴェルネ地方の耕作』を出品し、評判が高かったため、パリのリュクサンブール美術館に置かれることになった。1849年に父が没すると、そのあとを継いで、無料の女子素描学校の校長を1860年まで務めた。家畜の市に通うため、男装すなわちズボンの着用を警察当局に許可してもらう必要があり、その許可は6か月ごとに更新されたという。
1853年のサロンに出品した大作『馬の市』で国際的な名声を得た。各国を巡ってヴィクトリア女王らに紹介された。1855年のサロンでは、審査委員会が、すでに授与できるメダルをすべて得ていた彼女に、今後は審査を経ずに作品を展示できる特権を与えると決めた。また皇后ウジェニーや「バッファロー・ビル」ことコディー大佐とも会見し、コディーはスー族の本物の武具一式を贈った。1859年にはフォンテーヌブロー近郊の城を購入してアトリエを構え、ライオンをはじめ多くの動物を飼ってその姿を描いた。1865年には女性芸術家として初めてレジオンドヌール勲章のシュヴァリエを受け、皇后みずからが勲章を授けた。皇后は彼女のアトリエを2度訪れ、その様子は木版画に残る。1894年にはオフィシエに昇進した。
私生活では、1837年に出会ったナタリー・ミカと生涯を共にし、ナタリーが1889年に没するまで離れなかった。のちにアメリカ人の画家アンナ・クルンプケと10年を暮らし、彼女が包括受遺者となった。因習の強い時代だったが、その風変わりな人生がスキャンダルになることはなかった。1899年5月25日にトメリのビーで亡くなり、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。アトリエはローザ・ボヌール美術館として公開されている。
同じ年に亡くなった人物
- ヨハン・シュトラウス2世 (1899年没)
- アルメイダ・ジュニオール (1899年没)
- カール・ミレッカー (1899年没)
- オットマー・マーゲンターラー (1899年没)
- アルフレッド・シスレー (1899年没)
同じ地域に関係する人物
- マヌ・ディバンゴ (2020年没)
- テオドール・ルソー (1867年没)
- アンリ・ラブルースト (1875年没)
- オトン4世 (ブルゴーニュ伯) (1087年没)
- ジャン1世 (ブルゴーニュ公) (1419年没)