HISTORICAL PERSON · 1032年没

アルスラーン・イスラーイール・イブン・セルジューク

セルジュークの息子でルーム・セルジューク朝初代君主スライマーンの祖父。ヤブグの称号を用いて集団を率いたが、ガズナ朝のマフムードに捕らえられ獄死した。

生涯
1032年没
死亡地
アフガニスタン・イスラム共和国(バルフ州 / バルフ)
出生地
—
出典
世界地図
アフガニスタン・イスラム共和国(バルフ州)

伝記

アルスラーン・イスラーイール・イブン・セルジュークは、アルスラーン・ヤブグの名でも知られるトルコ系の首長である。のちにセルジューク帝国を築くことになるクヌク部族の出身で、生年ははっきりしないが、941年とする説もある。没年は1032年とされる。名のアルスランは「獅子」を意味する。武将セルジュークの息子で、帝国の創設者となるチャグリ・ベクとトゥグリル・ベクの叔父にあたり、のちにルーム・セルジューク朝を開くスライマーン・イブン・クタルミシュの祖父でもある。

クヌク部族は、オグズ系トルコ諸部族のひとつである。シル川(シルダリヤ)の北の地域に現れ、一部の歴史家によれば、かつてハザールの属民だった可能性もある。彼らは、マーワラーアンナフルの大半を支配していたカラ・ハン朝の領域に近いジャンドの町の周辺に定住した。だがカラ・ハン朝にとっては手に負えない隣人だった。992年のカラ・ハン朝とサーマーン朝の戦いでは、サーマーン朝を支持した。部族の長セルジュークは年老いており、息子のひとりアルスランがカラ・ハン朝との戦いで頭角を現した。1009年にセルジュークが没すると、アルスランが部族の指導者となり、父の後を継いだ。ヤブグの称号を用いたとされる。兄弟のミーカーイールは、のちにスルタンとなるトゥグリルとチャグリの父である。

カラ・ハン朝の軍勢は、アルスラン率いる軍に何度も敗れた。アルスランはカラ・ハン朝の内戦でもアリー・テギンを支持した。しかし1025年、カラ・ハン朝のユースフ・カディル・ハンがガズナ朝のマフムードと会い、クヌク部族に対抗する連合を結成した。ガズナ朝は、現在のアフガニスタンとパキスタンにあたる地に帝国を築いたトルコ系の一族である。脅威はあまりに大きく、アルスランは部族を連れて砂漠へ移った。それでもアルスランと息子のクタルミシュはマフムードに捕らえられた。降伏の経緯については二つの説がある。ジャン=ポール・ルーによれば、戦いのなかで捕らえられたという。一方、イスラーム百科事典によれば、マフムードは和平交渉に招いておき、その後の宴の席でアルスランとクタルミシュを捕らえ、同行した兵士たちは殺されたという。マフムードは二人をカーリンジャル砦(現在のインドにある)へ送った。

アルスランは残りの生涯を獄中で過ごした。マフムードの没後、アルスランの甥トゥグリルと、マフムードの後継者であるガズナ朝のマスウード1世が合意に達しようとしたが、交渉は決裂し、アルスランは1032年に獄中で死去した。1032年ごろに獄死したとする記述もある。

その後、アルスランの甥のトゥグリルとチャグリがセルジューク帝国を建てた。獄から脱出したクタルミシュも戦いに加わったが、のちには王位を争って成功しなかった。アルスランの孫スライマーンは、アナトリアにルーム・セルジューク朝(コンヤ・スルタン国)を築いた。

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