伝記
アルマン・イッポリート・ルイ・フィゾーは、1819年9月23日にパリで生まれたフランスの物理学者であり、天文学者でもある。地上で初めて光速度を測定したことを始め、光学における業績がある。父ルイ・エメは1776年生まれの医師で、1823年からパリ大学医学部の内科病理学の教授を務め、ラエンネクの友人であった。父はシュレーヌに別荘を持ち、その家の屋上で、のちにイッポリートが光速度の実験の一つを行った。若い学者は、この家に友人たちを招き、バルザックも訪れた。祖父はアンジューの公証人で、曽祖父は外科医であった。1853年にアドリアン・ド・ジュシューの娘テレーズ・ヴァランティーヌと結婚している。
スタニスラス校で学び、医学の勉強を始めたが、ひどい偏頭痛のためやめ、物理学に転じた。コレージュ・ド・フランスでアンリ・ヴィクトル・ルニョーから光学を学び、パリ天文台ではアラゴの教えも受けた。アラゴは彼に科学者としての将来性を見て、科学アカデミーの注意を彼の仕事に向けさせた。1840年代の初めには、写真による像の機械的な複製に関心を持ち、ダゲレオタイプから彫版を作ることに成功して、その方法は特許になった。1845年には、世界初の鮮明な太陽の写真を撮った。1848年には、波の源と受け手が互いに動いているとき、振動数がずれることを見いだし、光の波が赤の側へずれることを予言した。光に対してもドップラー効果が現れると主張したため、天体の光のドップラー効果をドップラー・フィゾー効果と呼ぶことがある。
物理学史上、最も有名なのは、1849年に回転する歯車を用いて光速度を測定した野外実験である。歯の間を通した光線を、遠くの鏡で反射させ、戻ってきたときに歯車が半歯ずれていれば光が遮られるので、距離と歯車の回転速度から光速度が分かる。実験に使われた距離は、シュレーヌの父の家の屋上から、モンマルトルまでの間であった。彼の得た値は3.15×10の5乗キロメートル毎秒で、この数値は、ヴェーバー、コールラウシュ、マクスウェルらの電磁気学の理論と照らし合わされて重大な影響を与えた。マクスウェルは、自作の理論に出てくる計算値のひとつがフィゾーの実験値にとても近いことを知り、自分が求めたものはフィゾーの光速だと思わずにいられないという趣旨の手紙を、知人に宛てて書いている。
1850年には、フーコーと共同で干渉の研究に取り組み、同じ年に、ブレゲが作った回転鏡を使って光速度を求め、エジェーヌ・グヌルとともに電気の速さも測った。1851年には、水を逆向きに流した管に二本の光線を通す干渉計で、水の運動が水中の光の速さを変えることを示した。水中の光速度が空気中より遅いことの証明も行った。1853年には、高い電圧を発生させるコイルにコンデンサーを加える着想を得た。1860年に科学アカデミーの会員に選ばれ、1866年にラムフォード・メダルを、1875年に王立協会の外国人会員となった。後にフーコーは室内でより良い数値を得たが、それはフィゾーよりずっと後のことである。1896年9月18日、ラ・フェルテ=スー=ジュアール近くのヴァントゥイユ城で没した。エッフェル塔に名が刻まれた72人の一人である。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・エヴァレット・ミレー (1896年没)
- ハインリヒ・フォン・トライチュケ (1896年没)
- エミール・デュ・ボア=レーモン (1896年没)
- フェルディナント・フォン・ミュラー (1896年没)
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同じ地域に関係する人物
- ジュール・パドルー (1887年没)
- Yves Delacour (2014年没)
- ジャン=クロード・ブリアリ (2007年没)
- ボブ・ディナール (2007年没)
- Nicolas Durand de Villegaignon (1571年没)