HISTORICAL PERSON · 1017年没

ジュディット・ド・ブルターニュ

ノルマンディー公リシャール2世の妃。ノルマンディーとブルターニュを結ぶ二重結婚同盟の一員で、後のイングランド王ウィリアム1世の内祖母にあたる。

生涯
1017年没
死亡地
フランス共和国(カルヴァドス県 / ノルマンディー公国)
出生地
フランス王国(ブルターニュ公国)
出典
世界地図
フランス共和国(カルヴァドス県)

伝記

ジュディット・ド・ブルターニュは、982年に生まれ1017年に没した、ノルマンディー公リシャール2世の最初の妃である。ブルターニュ公コナン1世と、アンジュー家出身のエルマンガルド=ジェルベルジュを両親とし、レンヌのジュディットとも呼ばれる。父方の祖父はレンヌ伯ジュディケル・ベランジェ、母方の祖父はアンジュー伯ジョフロワ1世とされる。兄弟には、父の跡を継いだブルターニュ公ジョフロワ1世、ポルエ伯ジュディケル、ルドン修道院長となったカトゥアロンらがいた。

ジュディットの結婚は、ノルマンディーとブルターニュの同盟を固めるために行われた二重結婚の一方であった。996年に兄ジョフロワ1世がノルマンディー公リシャール1世の娘アヴォワーズと結婚し、1000年ごろにジュディットがアヴォワーズの兄にあたるリシャール2世と結婚したのである。この二重結婚はジュミエージュのギヨームがまず記録したものとされる。公のほうから、ジュディットを妻に迎えたいと兄ジョフロワに求めたと伝えられ、ジュディットは「身体のうえで完全に美しく、あらゆる美点によって称えられる」女性と評された。結婚式は千年の年に、モン=サン=ミシェル修道院の教会で挙げられたという。このとき彼女は、寡婦産としてアダムの城とコタンタン地方の大部分を受け取ったとされる。

夫妻のあいだには六人の子が生まれたとされる。長男のリシャール3世(1002年か1004年ごろ生まれ、1027年没)はノルマンディー公となった。娘のアリス(アデライード)はブルゴーニュ伯ルノー1世の妻となり、1038年に没したとも、1030年の7月以後まで生きたともいわれる。三男のロベール1世(1005年から1007年ごろの生まれ、1035年没)は兄の跡を継いでノルマンディー公となった。ギヨームはフェカンの修道士で、1025年に没した。娘のエレオノールはフランドル伯ボードゥアン4世の妻となり、1071年以後まで生きた。末の娘マティルドはフェカンの修道女となり、1033年に没した。生年や子の数、順序については、史料によって揺れがある。

ロベール1世を通じて、ジュディットはのちにイングランド王となるウィリアム1世の父方の祖母にあたる。ロベールの子ウィリアムは、ノルマン人によるイングランド征服を成し遂げた人物である。

1013年、ジュディットは夫から結婚時に受け取った寡婦産をもとに、ベルネー修道院を創建した。そして1017年に世を去り、自らが創建したこの修道院に葬られた。没日は8月28日ともいい、6月16日ともいわれる。墓は、フランス革命以後、ベルネーのノートル=ダム・ド・ラ・クチュール聖堂に残されているという。

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