HISTORICAL PERSON · 紀元前290年代没

チャンドラグプタ (マウリヤ朝)

古代インドでナンダ朝を倒してマウリヤ朝を興した初代の王。セレウコス1世を圧倒して4州を得て、ガンジス川からインダス川流域に及ぶ大帝国を築いた。晩年はジャイナ教に帰依したと伝わる。

生涯
紀元前290年代没
死亡地
インド(カルナータカ州 / シュラバナベラゴラ)
出生地
インド(パータリプトラ)
出典
世界地図
インド(カルナータカ州)

伝記

チャンドラグプタは、古代インドのマガダ国に栄えたマウリヤ朝の初代の王である。紀元前340年ごろに生まれ、紀元前298年ごろに没したとされ、在位は紀元前317年ごろから紀元前298年ごろと伝える資料がある。ギリシア人の史料にはサンドロキュプトスまたはサンドロコットスの名で記録される。ただ、その生涯は伝説に包まれ、確かな事実は少ない。治世の様子は、ギリシア・ローマの史料の断片やインドの宗教文献から推測するほかなく、それらはいずれも彼の死後数世紀を経て書かれたものである。

出自は明らかでない。バラモン教系の文献は最下位のシュードラの出身とし、仏教系の文献は、バラモンに次ぐクシャトリアの出身とする。ローマの歴史家ユスティヌスは、身分の低い生まれと述べたうえ、戦いの前に野生の象が現れて乗り物として従ったという不思議な話も記している。マウリヤ朝が当時は非正統とされた仏教を保護したため、バラモン教の高位者たちが王を軽んじたのだとも言われるが、はっきりしない。プルタルコスは、若い彼が北西インドでポロスらと戦っていたアレクサンドロス大王のもとを訪ね、インド東部への道案内を申し出たと伝えるが、確証はない。

紀元前4世紀末、北西インドでナンダ朝に反旗を翻して挙兵したと伝えられる。ナンダ朝の王が派遣した将軍バッサダーラを破り、首都パータリプトラを占領してダナナンダを殺し、ナンダ朝を滅ぼしてマウリヤ朝を創建した。この挙兵には、権謀術数で知られたカウティリヤが深く関与したとされる。ただし、マガダ征服の年代や順序には諸説があり、先にパンジャーブで基盤を固めたとする見方もある。紀元前317年から316年ごろには、アレクサンドロス大王がインド北西部に任じた太守代行エウダモスとペイトンの軍を、この地方から追い出した。

紀元前305年ごろ、後継者の一人セレウコス1世がインダス川を越えて北西インドへ侵入した。しかしチャンドラグプタは、60万とも言われた軍事力を背景に彼を圧倒し、有利な協定を結んだ。この協定でインダス川の向こうの4州を新たに得て、セレウコスの娘を息子ビンドゥサーラの妃に迎えた。引き換えに戦象500頭を与え、西方でディアドコイ戦争を戦うセレウコスの戦力を助けた。こうして、ガンジス川流域とインダス川流域、さらに中央インドの一部を含む、インド史上空前の帝国を築いた。統治は強権的だったといわれ、ギリシア人の史料には、王位を得ると異国人から解放した人々を自分の奴隷にしたという記録がある。宮殿は尚武の気風に満ち、側近のカウティリヤが「インドのマキャヴェリ」と呼ばれる冷徹な思想家だったこととも合わせ、恐ろしい王と見られていた可能性が高い。暗殺を恐れて毎晩寝所を変えていたという逸話も、メガステネスによって残されている。

晩年について、ジャイナ教系の記録は、彼が退位して出家し、聖人バドラバーフの弟子となって、出家後の名をプラバーカンドラとし、最後は絶食して命を終えたと伝える。この話自体の史実性は別として、仏教系の文献がしばしば彼を無視することや、ジャイナ教系の文献での重視、同時代の碑文から、彼がジャイナ教を信仰していたことは事実だとも言われ、菜食主義を広めたとされる。死後は息子ビンドゥサーラが王位を継いだ。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物