伝記
アブー・マフムード・ハミド・イブン・アル=ヒドル・アル=フジャンディーは、トランスオクシアナ出身の天文学者・数学者である。ペルシア系とされ、生年は940年ごろ、没年は1000年ごろとされる。生まれたのは現在のタジキスタンにあるフジャンドで、10世紀後半に活動した。ライの天文台の建設にも協力したとされる。名前は「アブー・マフムード・フジャンディー」とも表記される。
生涯について確かなことは少ない。わずかな情報は、現存する著作と、後世のナスィールッディーン・トゥースィーの言及から得られるものである。そこから、フジャンディーはフジャンド地方のモンゴル系の部族を治めた人々の一人で、貴族の出だったのではないかと推測されている。一方、同時代に親交のあったビールーニーは、フジャンディーをアストロラーベなどの器械の製作において時代に抜きん出た存在と評している。
フジャンディーはブワイフ朝の諸太守の庇護のもと、現在のテヘラン近郊にあたるライの天文台で働いた。994年には、地球の自転軸の傾き、すなわち黄道傾斜角を高い精度で求めるため、壁に据え付ける巨大な六分儀を初めて造ったと伝えられる。この器械は「ファフリーの六分儀」の名で知られ、ビールーニーが専門の論考でこれを記している。測定の結果、994年の傾きは23度32分19秒とされた。以前の天文学者の値はインドで24度、プトレマイオスで23度51分と、いずれも大きかったため、傾きは一定ではなく減少しているのだと見抜いた。ただし得られた値は実際より2分ほど小さく、重い器械が観測のあいだに沈み込んだためではないかと考えられている。
著作としては、数学の論考2点と天文学の論考6点が残り、ベイルート、カイロ、オックスフォード、パリ、テヘランの図書館に収められている。アストロラーベの操作法、万能の器械、地平圏の板、黄道傾斜角の決定、各地の赤緯と緯度の補正、キブラの方位などを扱ったものが含まれる。題名には『種々の幾何学的問題』『包括的な器械の書』『傾斜と各地の緯度の補正に関する論考』『ザルカーラを用いた操作の書』『キブラの方位の書』のほか、アストロラーベとその操作を扱う「地平の板」と題した論考や、夜に過ぎた時間を扱う書もある。『夜の過ぎた時間の書』では、球面三角形の正弦定理を証明したとされるが、これを最初に見いだしたのがフジャンディーなのか、アブー・ナスル・マンスール、アブー・ル=ワファー、あるいはトゥースィーなのかは確定していない。数学では、2つの立方数の和は立方数にならないという、フェルマーの最終定理でn=3の場合にあたる主張を述べ、その証明を試みた。しかし証明は誤りだったとされる。この証明そのものは伝わっておらず、11世紀の人物アブー・ジャーファル・ムハンマド・イブン・アル=フサインが自著で触れていることで知られる。
フジャンディーの没年は1000年ごろとされる。ソ連時代にはタジクの学者として位置づけられ、1980年にはフジャンドに名を冠した天文館が開かれた。のちに取り壊されたが、2020年3月26日、同地の公園が改装されて「アブーマフムード・フジャンディー公園」として開園した。入口には高さ6.5メートルの像が立ち、彫刻群には望遠鏡が添えられ、園内には新しい天文館も造られた。フジャンドの公園には、この学者の青銅の胸像もあるという。
同じ年に亡くなった人物
- トリポリのレオン (1000年(推定))
- 赤毛のエイリーク (1000年代没)
- ガルシア2世 (ナバラ王) (1000年代没)
- 藤原興風 (1000年(推定))
- Poppa of Bayeux (1000年(推定))
同じ地域に関係する人物
- スルタン・アフマド (ティムール朝) (1494年没)
- ラフモン・ナビエフ (1993年没)
- ルーダキー (940年没)