伝記
赤毛のエイリークは、本名をエイリーク・ソルヴァルズソンといい、ノルウェーとアイスランドで活躍した首領、探検家である。ヨーロッパ人として初めてグリーンランドに入植した人物とされる。「赤毛」は個人の特徴を名に添える慣習によるあだ名で、髪とひげの色に由来するらしい。『赤毛のエイリークのサガ』や『グリーンランド人のサガ』、『植民の書』などアイスランド・サガの記録によって、この呼び名で知られるようになった。
サガによれば、950年ごろ、ノルウェー南西部ヤーレンで、ソルヴァルド・アスヴァルズソンの子として生まれた。アイスランド生まれとする説もある。960年ごろ、父が殺人の罪でノルウェーを追放され、一家は西へ航海して、10歳ほどのエイリークとともにアイスランドの北西部に移り住んだ。父はまもなく没し、エイリークはヨルンドの娘ショーズヒルドと結婚して、ハウカダルにエイリークスタジルという農場を築いた。夫婦には、探検家となるレイフ、ソルヴァルド、ソルステインの三人の息子と、娘フレイディースがいたと伝えられる。ただし、フレイディースを同じ母の娘とするか、異母の娘とするかは、サガによって食い違う。
移住先で財産を築いたことで、先住の豪族との争いが生じた。彼の奴隷が隣の農場に土砂崩れを起こし、奴隷が相手の親族に殺されると、彼は報復として相手の親族らを殺し、982年ごろハウカダルから追放された。そののち、ブレイザフィヨルドの島に移り、父が持ち込んだ神聖な高座の柱の保管をソールゲストに頼んだが、返されなかったため、柱を奪い返した。追ってきたソールゲストの息子二人らを殺し、両者は多数の味方を集めて争った。争いはソルスネスの民会で裁かれ、エイリークは3年間、アイスランドから追放された。グリーンランドは、この追放の間に探索したとされる。こうした行動は粗暴な印象を与えるが、農場経営や財産づくり、探索の成果からは、人心を掌握する力と経営の手腕もうかがえる。
グリーンランドの発見者としてエイリークを挙げる説は、通俗的な誤りとされる。サガによれば、それより約100年前にグンビョルン・ウルフソンが強風で流されて島々に至り、約80年前には追放者スネービョルン・ガルティが入植を試みて失敗している。エイリークは、島の南端を回って西海岸を進み、最初の冬をエイリクセイ島、二年目の冬をエイリクショルマルで過ごし、最後の夏にはスネフェルまで北上した。帰国後、移住者を募るために、この地を「グリーンランド」と魅力的に名づけたという。宣伝は功を奏し、985年、25隻の船が入植者を乗せて出発したが、11隻が遭難し、到着したのは14隻だった。彼らは東部と西部の二つの入植地を築き、エイリークは東部にブラッタフリードの領地を構えて、最高首領として尊敬され、富を得た。
息子レイフはノルウェーで洗礼を受け、キリスト教を広めた。妻も熱心な信者となり、島で最初の教会を建てたが、エイリークは古い信仰を捨てず、夫婦の間に溝が生じたという。レイフがヴィンランドへ向かう際、父も誘われたが、エイリークは馬から落ちたことを凶兆と見て、行かなかった。彼は1003年ごろ、冬の疫病で没した。1002年に着いた移民の一団が持ち込んだ疫病が、彼を含む多くの有力者の命を奪ったと伝わる。植民地はいったん立ち直ったが、15世紀に小氷河期が訪れてヨーロッパ人の暮らしに合わない土地となり、やがて放棄された。
同じ年に亡くなった人物
- マッツェーンドラナート (1000年没)
- 右近 (歌人) (1000年(推定))
- Aryabhata II (1000年)
- ゴラズド (1000年(推定))
- ボゴミル (1000年没)
同じ地域に関係する人物
- レイフ・エリクソン (1020年代没)