伝記
ミロー1世(ミロ、ミロン)は、10世紀半ばのバルセロナ伯である。バルセロナ、ジローナ、オゾナの各伯領を治め、966年に没した。バルセロナ伯スニェー1世と、その2度目の妃でルエルグ伯アルメンゴルの娘とされるリケルダのあいだに生まれた。兄弟にボレイ2世とアルメンゴルがおり、三男だったとも伝えられる。
947年に父が修道院に入って引退すると、ミローは兄弟のボレイ2世とともに領地を受け継いだ。948年には叔父スニフレド2世が男子の跡継ぎを残さずに亡くなり、父が相続していたウルジェイ伯領も加わった。ただし、実際に兄弟で共同統治をおこなえるようになったのは954年以降だとする見方もある。ミローとボレイのどちらが年長だったかは、歴史家のあいだでも定まっていない。954年8月、母リケルダがラグラス修道院に寄進をおこなった文書では、ミローが先に署名しており、このことから彼が兄だったと推測する説がある。一方、スニェー1世の子を列挙した記録ではミローが三番目に挙げられ、こちらは弟だったことを示すと考えられている。二人は統治の役割を分担したとされる。軍事と外交はボレイ2世が担当し、ミローは伯領の内政、とくにバルセロナの市政を受け持った。兄弟はコルドバのカリフ国のイスラム勢力とも、いくつかの条約を結んだといわれる。ミローは修道院への寄進を重ねた。955年3月にはサン・クガット、サン・ジョアン・デ・レス・アバデセス、リポイの各修道院に寄進した。956年12月には、母リケルダの遺言に従い、ボレイとともにモンセラート修道院へ寄進をおこなった。ジローナの教会にも、叔父スニフレド2世から受け継いだ財産を寄進した。963年12月には、バルセロナ伯領内の土地を売却した記録もある。在位中、ミローはバルセロナの水利にも関わったと考えられている。ベソス川の水を市の城壁まで運ぶ運河、伯の用水路(ミローの用水路ともいう)を建設、あるいは再建したとされる。
ミローは966年にバルセロナで没した。死去の日は10月31日とされるが、6月とする記述もあり、一定しない。彼の死後は兄弟のボレイ2世が単独の伯となり、同年11月26日付の文書には、ミローの遺言執行人と子らの後見人への言及がある。妻はアヴァで、出自は分かっていない。アヴァは夫の魂のために寄進をおこなった。子はライムンド、ボレイ、スニェーの三人で、のちにウルジェイ伯としてエルメンゴル1世とともに統治したとされる。ただし、ミローには子がなかったとする説もある。988年のボレイ2世による寄進の文書には、亡き人としてミローの名が最後に記されている。
同じ年に亡くなった人物
- ベネディクトゥス5世 (ローマ教皇) (966年没)
- フロドアルト・フォン・ライムス (966年)
- ベレンガーリオ2世 (966年没)
- イブラーヒーム・イブン・ヤアクーブ (966年)
- サンチョ1世 (レオン王) (966年没)
同じ地域に関係する人物
- アタウルフ (415年没)
- ジョアン・ガンペール (1930年没)
- ジャシン・バルダゲー (1902年没)
- チュス・ペレダ (2011年没)
- ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス (2005年没)