HISTORICAL PERSON · 1884年没

マリー・タリオーニ

ロマンティック・バレエ時代を代表するバレエダンサー。ストックホルムに生まれ、父の厳しい訓練で技術を身につけ、1827年にパリ・オペラ座で初舞台を踏んだ。

生涯
1884年没
死亡地
フランス共和国(ブーシュ=デュ=ローヌ県 / マルセイユ)
出生地
スウェーデン王国(ストックホルム)
出典
世界地図
フランス共和国(ブーシュ=デュ=ローヌ県)

伝記

マリー・タリオーニは、1804年4月23日にストックホルムで生まれたバレエダンサーで、ロマンティック・バレエの時代を代表する存在である。スウェーデンとイタリアの血を引き、ミラノの名の知られた舞踊家と振付家の一族に属していた。父は、ロマンティック・バレエを先導した振付家フィリッポ・タリオーニで、母ソフィーはスウェーデンのオペラ歌手クリストファー・カルステンの娘であった。両親はヨーロッパ中で知られていた。親戚にも名の知られたバレエダンサーが多かった。パリでジャン=フランソワ・クーロンに学び、同時に父の監督のもとで、当時としては非常に厳しい訓練を受けた。17歳からは父の訓練によって高度なテクニックを身につけたとされ、1822年にウィーンで初舞台を踏んだ。以来、ドイツやイタリアなどで踊った。

1827年7月23日、パリ・オペラ座で、父が創作したパ・ド・ドゥによって初舞台を踏んだ。1831年にはマイアベーアが作曲し、父が振付けた『悪魔のロベール』の「死んだ尼僧たちの踊り」でバレエ・シーンの主役を踊って好評を得た。そして1832年3月12日、同じく父の振付による『ラ・シルフィード』の主役を演じて大成功を収め、その名を不朽のものとした。この作品で初めてチュチュが用いられ、ポワントで立ったことが記録されている。彼女はポワントでの踊りを全編にわたって保った最初の人とされ、その軽やかさは、身体を舞台に見せる方法を変えたといわれる。『ラ・シルフィード』は彼女の別称にもなった。空中を舞うように踊り、精霊や妖精のような異界の役柄を得意とするダンサーであった。ベルリオーズは「タリオーニ嬢は踊り子ではなく、空気の精、ほかならぬアリエルだ」と表現したと伝えられる。

1836年、父の振付で『ドナウの娘』の主役を初演したのち、パリを離れた。1837年から5年間はロシアのサンクトペテルブルクで踊って成功し、毎冬そこで舞台に立つ一方、ウィーンやワルシャワ、ストックホルム、ロンドンなどにも巡演した。ロンドンでは1829年に初舞台を踏んでいる。ヨーロッパ各地で絶賛された。1845年にロンドンで初演された『パ・ド・カトル』では、ほかの3人のバレリーナの先頭に立って踊った。1847年に引退し、ヴェネツィア近郊に住んだ。引退後は、コモ湖畔のブレーヴィオに隠棲した時期もあった。その後、1858年から1870年にかけてパリ・オペラ座のバレエ学校で教師を務めた。

晩年は経済的に行き詰まり、ロンドンへ移って、1871年から1880年までバレエ教師として生計を立てた。1860年には教え子エマ・リヴリーのために『パピヨン』を振付けている。1880年からはマルセイユの息子のもとに身を寄せ、1884年4月に同地で没した。伝えられるところでは、マリー自身は背が高く痩せ型で猫背だったという。男性ファンの多かったファニー・エルスラーと比較され、性的魅力に欠けるとして、「婦人好み」と評された。

パリのモンマルトルには彼女の名を刻んだ墓があり、世界中のダンサーが敬意を捧げるが、2007年に、そこに眠るのは母ソフィーで、マリー自身は元夫の伯爵の名でペール・ラシェーズ墓地に葬られていると明らかにされたという。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物