伝記
アフメス・シタムン(シタムン)は、古代エジプト第18王朝初期の王女である。名は「月の子、アメンの娘」を意味するとされ、単にシタムンとも呼ばれる。ファラオのアハメス1世の娘で、のちに王となるアメンホテプ1世の姉妹にあたる。母については、王妃アハメス・ネフェルタリであるとするのが一般的だが、アハメス・サトカモセを母とする説もティエリー・スタッセルによって唱えられている。
称号としては「王の娘」「神の妻」が知られ、名は王名を囲むカルトゥーシュで書かれた。アハメス1世(高年代説で前1570〜前1546年)の治世18年にあたる年代の石碑では、すでに「王の娘」と「神の妻」の称号を帯びている。その後、兄弟のアメンホテプ1世(同じく高年代説で前1545〜前1526年)が王位に就くと、称号に「王の姉妹」が加わった。「神の妻」はテーベにおけるアメン神の祭祀に結びついた神官的な地位で、シタムンはこれを若いうちに得たらしい。この地位の最初の保持者であるアハメス・ネフェルタリも、同時にその地位を保ち続けた。
シタムンの名は多くの遺物に残っている。ハノーファーの博物館にある石灰岩の石碑には「王の娘、神の妻」として現れるが、この石碑は何の出来事も記念しておらず、真正性には議論がある。カルナクで見つかった石碑では、「神の妻」シタムンが、アハメス・ネフェルタリや、亡くなった王子アハメス・シパイルとともに記されている。カルナクのアメン大神殿の第8塔門の前では、巨像とともに彼女の像が見つかった。像の左側には「王の娘」「王の姉妹」「両国の女主人」「神の妻」、右側には「神の妻」「両国の主アメンに愛された者」などの称号が刻まれ、「王の姉妹」の称号があることから、兄の治世の作と考えられている。現在、像の下半分はカルナクに、上半分は大英博物館にある。ムト神殿からは、王を膝に抱く女神ムトの座像が出土し、その座席の側面には、アハメス・ネフェルタリとともにシタムンも表されている。そのほか、シタムンに仕えた者の石碑、領地の監督官の陶製の小板(ここでは名がカルトゥーシュなしで書かれる)、デイル・エル・バハリの杯の破片、5つのスカラベにも名が見える。さらに、ラメセス朝期の墓であるTT2とTT359や、デイル・エル・メディーナで見つかりトリノにあるブテハメンの棺にも、「西方の主たち」の一人として描かれている。
墓は特定されておらず、その所在は知られていない。ミイラは本来の墓から離れた二次的な場所で見つかった。包みの碑文によって本人と確認されている。デイル・エル・バハリの隠し場所(DB320、TT320)から出土した棺とミイラは、いまカイロのエジプト博物館にある。棺の長さは1.28メートルで、棺にもミイラの胸にも神官文字で「王の娘シタムン」と書かれていた。頭蓋骨や一部の骨が子供用の棺に入っていたため、ガストン・マスペロは、成人の女性を子供と取り違えたらしい。実際には、ミイラは数本のナツメヤシの葉の束の上に頭蓋骨を載せたもので、古代の墓泥棒に傷つけられ、ばらばらにされたとみられる。遺骸を集めて改葬した神官たちは、葦のむしろを加えて新しい「身体」を作り、子供の大きさに包み直して新しい棺に納めたと考えられる。残ったわずかな骨の研究からは、右大腿骨をもとに身長が推定され、死亡時の年齢は「中年」とされた。ミシェル・ジットンは30歳から40歳という幅を示している。