HISTORICAL PERSON · 1882年没

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

19世紀イングランドの画家・詩人。1848年にハントやミレーらとラファエル前派を結成した。代表作に『ベアタ・ベアトリクス』があり、装飾的で耽美的な画面の作品が多い。詩人クリスティーナの兄。

生涯
1882年没
死亡地
イギリス連邦(ケント / バーチントン)
出生地
イギリス連邦(ロンドン)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケント)

伝記

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(ロゼッティとも表記される)は、1828年5月12日にロンドンのシャーロット・ストリートで、イタリア系移民の子として生まれた、19世紀イングランドの画家であり、詩人である。ラファエル前派の一員に数えられる。詩人クリスティーナ・ロセッティの兄で、姉のマリアと弟のウィリアムも著述家であった。医師で作家のジョン・ポリドリは叔父にあたり、最初の吸血鬼小説と呼ばれる『吸血鬼』を書いた人物である。父ガブリエーレはアブルッツォ州ヴァスト出身の詩人で、著名なダンテ詩人でもあり、1831年に創立されたキングス・カレッジでイタリア語教授を務めていた。そのため、ロセッティと弟ウィリアム・マイケルは1837年秋に同校に入学した。ロセッティは絵画と同じく文学も愛し、シェイクスピアやゲーテを読みながら、5歳で戯曲『奴隷』を書くなどの才能を見せたという。

在学中は、ノリッジ派の水彩画家ジョン・セル・コットマンに師事したが、特別に熱意があったわけでもなく、コットマンも特に目をかけてはいなかった。それでも父は友人への書簡に、息子は熱望する絵画の道を追求しはじめていると書き記している。その言葉に応えるように、1841年秋にキングス・カレッジを退学し、大英博物館の近くにある私立の絵画学校に入学した。1846年にロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に入り、1848年、同校の学生だったウィリアム・ホルマン・ハントやジョン・エヴァレット・ミレーらとともに「ラファエル前派」を結成した。この名は、イタリア・ルネサンスの巨匠ラファエロ以前という意味で、19世紀当時のアカデミーの古典偏重の美術教育に異を唱えるものであった。思想の面で影響を与えたのは、美術批評家のジョン・ラスキンである。しかし明確な理論を持った運動ではなく、1853年にミレーがロイヤル・アカデミーの準会員になったことなどをきっかけに、数年後にはグループは解散した。

ロセッティは聖書や伝説、文学に題材を求めた作品を多く描いたが、仲間のような徹底した細密描写は得意でなく、全体として装飾的で耽美的な画面構成が多い。その生涯は、エリザベス・シダルとジェーン・バーデンという2人の女性と関連づけて語られることが多い。エリザベスは長い婚約期間の後に妻となった女性で、代表作『ベアタ・ベアトリクス』のほか、ミレーの『オフィーリア』のモデルも務めた。ジェーンはウィリアム・モリスの妻となった女性で、『プロセルピナ』など多くの絵でモデルとなった。ロセッティがジェーンと出会ったのは1857年、モリスらの仲間と壁画を制作中のことで、以後、作品にしばしばジェーンが登場するようになった。ジェーンは結局モリスと結婚し、ロセッティも婚約者のエリザベスと予定どおり結婚したが、どちらの結婚生活も幸福ではなかったとされる。冷え切った夫婦関係や女児の死産に心を痛めたエリザベスは、薬に溺れ、結婚2年目に大量の薬を服用して自殺同然の死を遂げた。その死を悼んで描かれたのが『ベアタ・ベアトリクス』である。

世間的な成功は得たものの、人妻への思慕と妻への罪悪感に苦しみ、次第に心身を病んで、1872年には自殺を図った。晩年は酒と薬に溺れ、不眠症のため真夜中にロウソクの灯りで絵を描いていたという。1882年、ケント州バーチントンで失意のうちにブライト病により54歳で亡くなり、同地に埋葬された。

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