HISTORICAL PERSON · 1882年没

フリードリヒ・ヴェーラー

ドイツの化学者。1828年にシアン酸アンモニウムから尿素を合成し、「有機化学の父」と呼ばれる。リービッヒと独立に異性体を発見し、ベリリウムも発見した。生涯ゲッティンゲン大学で教授を務めた。

生涯
1882年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ニーダーザクセン州 / ゲッティンゲン)
出生地
ドイツ連邦共和国(フランクフルト=エッシャースハイム)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ニーダーザクセン州)

伝記

フリードリヒ・ヴェーラーは、1800年7月31日にフランクフルト近郊のエッシャースハイムで生まれ、1882年9月23日に没したドイツの化学者である。1828年に、シアン酸アンモニウムを加熱するうちに尿素が結晶化しているのを発見し、無機化合物から初めて有機化合物の尿素を合成した(ヴェーラー合成)ことで、「有機化学の父」と呼ばれる。父は獣医で、少年のころから鉱物の収集、素描、科学に興味を示した。フランクフルトのギムナジウムに通い、在学中に父が用意した家庭の実験室で化学の実験を始めている。1820年にマールブルク大学の医学部に入学したが、物理学と化学に関心が移り、下宿で化学実験をしてヨウ化シアンを発見した。同年、ハイデルベルク大学の化学と医学の教授レオポルト・グメリンの研究室に移った。

1823年9月2日に医学・外科学・産科学の博士の試験に合格し、23歳で学位を取得した。グメリンは化学に専念することを勧め、ストックホルムのイェンス・ベルセリウスのもとで研究できるよう取り計らった。カロリンスカ研究所で鉱物の化学分析や、シアンガスとアンモニアの反応の実験指導を受け、ベルセリウスとの長い個人的・職業的な関係が始まった。ヴェーラーはベルセリウスの科学的著作を多数ドイツ語に訳し、この留学の回想を、1875年に随筆『一化学者の若き日の思い出』として書き残している。ベルセリウスの研究室で、シアンガスとアンモニアからシュウ酸アンモニウムと白色結晶が得られたが、留学中は何であるか確定できず、1828年にそれが尿素だと分かった。

当時、有機物は動植物の体内で生気の力によって作られると信じられていた。ヴェーラーは無機物から有機物を人工的に作ることで、生気論に打撃を与えたとされる。ただし、その役割の大きさについては疑問視する見方もある。それ以前は、同じ組成の化合物が異なる性質をもつ異性体として存在することはないと考えられていた。しかし、シアン酸アンモニウムが質量の変化なしに尿素に変わることを示したため、従来の説が覆り、異性体と異性化が発見された。この発見を契機に、ユストゥス・フォン・リービッヒと生涯にわたる友情を結び、1830年には共同でシアン酸、シアヌル酸、尿素に関する研究を発表した。ベルセリウスはこれを、物理・化学・鉱物学の分野で最も重要な研究の一つと述べた。1832年には、リービッヒと苦扁桃油の研究も発表している。

1825年からベルリンの工芸学校で化学を教え、1831年からカッセルの高等工芸学校に移って、1836年春にゲッティンゲン大学の化学の正教授となり、1882年の死まで46年間その講座にとどまった。この間におよそ8,000人の研究学生がその研究室で育ち、弟子には酢酸を初めて合成したヘルマン・コルベらがいる。尿素以外にも、ケイ素、ベリリウム、窒化ケイ素の発見、炭化カルシウムの合成、アルミニウムやイットリウムの単離など、多岐にわたる業績を残した。ベルセリウスの教科書に自らの見解を加えて1848年に完成させた『化学の教科書』は、1875年までに15版を重ねた。隕石の化学組成にも関心を持ち、有機物を含む隕石があることを示し、当時最良の個人コレクションを築いた。1872年にコプリ・メダルを受けている。

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