HISTORICAL PERSON · 920年没

ラジャセカラ

カナウジのプラティハーラ朝の宮廷詩人で、劇作家・批評家。詩人向けの実践的手引き『カーヴィヤミーマーンサー』と、プラークリット語の劇『カルプーラマンジャリー』で知られる。

生涯
920年没
死亡地
インド(ウッタル・プラデーシュ州 / カナウジ)
出生地
—
出典
世界地図
インド(ウッタル・プラデーシュ州)

伝記

ラージャシェーカラは、マハーラーシュトリー・プラークリットとサンスクリットで作品を残した詩人、劇作家、批評家である。カンナウジを都としたグルジャラ・プラティーハーラ朝の宮廷詩人で、880年から920年ごろに活動したとされ、920年没ともいわれる。ただし、生きた時代を10世紀初めとする見方のほかに、12世紀初めとする見方もあった。

自作の『バーラ・ラーマーヤナ』や『カーヴィヤミーマーンサー』の中で、自らをヤーヤーヴァラ家の出と述べている。曽祖父アカラジャラダはマハーラーシュトラの出身で、父ドゥルドゥカは大臣を務めたという。母の名はシーラヴァティーと伝えられ、マハーラーシュトラの人でありながら生涯の多くをベンガルで過ごしたともいう。妻アヴァンティスンダリーはチャーハマーナ家の出で、教養と才にすぐれた女性であった。ラージャシェーカラは、妻を喜ばせるために戯曲『カルプーラマンジャリー』を書いたとされ、文学上の働きに対して妻への謝意を記した古代インドの詩人としては、おそらく唯一の存在である。

宮廷では、プラティーハーラ朝の王マヘーンドラパーラ1世の師を名乗った。王の子らの教師に任じられたとも伝わり、その子マヒーパーラにも重んじられた。二人の王の碑文が900年と917年のものであることから、活動期は880年から920年ごろと考えられている。父が仕えた王はミヒラ・ボージャ1世だとする説もある。

主著の『カーヴィヤミーマーンサー』は、優れた詩の要素と作り方を説いた詩人のための実践的な手引きである。現存するのは第1部のみで、18章からなり「詩人の秘密」とも呼ばれる。詩人の格付けや座る順序、服装にまで筆が及び、詩人の教育が中心の主題となっている。詩人を十の階級に分け、大詩人の上に自分を置いて「詩人の王」と称した。また、地域ごとの文体としてヴァイダルビー、ガウディー、パーンチャーリーの三つを認めた。「カヴィサマヤ」という語を最初に用いたのも彼だとされ、後にクシェーメーンドラ、ボージャ、ヘーマチャンドラらがその説を受け継いだ。クシェーメーンドラは、彼の用いた詩形を称賛している。

戯曲には四つが伝わる。『バーラ・ラーマーヤナ』(青年のためのラーマーヤナの意)は、バヴァブーティにならって『ラーマーヤナ』の筋を、シーターをめぐるラーマとラーヴァナの恋のせめぎ合いとして描く。ただし人物の心理より、文体の洗練や修辞の効果に力を注いだという。『バーラ・バーラタ』(青年のためのマハーバーラタの意)は『マハーバーラタ』に基づくが、最初の2幕しか残っていない。この二作は初期の作とみられる。一方、恋物語である『カルプーラマンジャリー』と『ヴィッダシャーラバンジカー』(貫かれた像の意)は、ハルシャの『ラトナーヴァリー』にならったものだが、凝った文体と飾った感情表現のために、その洗練には及ばないと評される。『カルプーラマンジャリー』は円熟期の作で、プラークリットで書かれている。このほか『ブヴァナコーシャ』『ハリヴィラーサ』の名も挙がり、『リーティニルナヤ』も彼の名で語られるが、現存しない。『バーラ・バーラタ』には、ヴァールミーキが生まれ、次にバルトリメンタが現れ、さらにバヴァブーティが続き、いまはラージャシェーカラがいる、という趣旨の自負の詩句がある。彼は自らを、この系譜に連なる詩人と位置づけていたのである。

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