HISTORICAL PERSON · 918年没

エセルフリーダ

マーシアの君主。夫エゼルレッドの死後実質的にマーシアを治め、弟エドワード長兄王と共にヴァイキングとの戦いで成果を挙げ『マーシアの貴婦人』と呼ばれた。

生涯
918年没
死亡地
イギリス連邦(スタッフォードシャー / タムワース)
出生地
—
出典
世界地図
イギリス連邦(スタッフォードシャー)

伝記

エセルフリーダ(エゼルフレダ、870年頃-918年6月12日)は、イングランドのマーシアの君主である。アルフレッド大王の長女として生まれ、夫であるマーシア太守エゼルレッドの死後、実質的にマーシアを治めた。弟のエドワード長兄王と並んでヴァイキングに対する軍事で成果を挙げ、「マーシアの貴婦人」と呼ばれた。

母はマーシア貴族エゼルレッド・ミュチェルの娘イールスウィスである。イールスウィスの母エアドバーはマーシア王室の出で、おそらくコエンウルフ王の子孫であったため、エセルフリーダはマーシアの血を引いていた。マーシアの有力者エゼルレッドとの結婚は、ウェセックスとマーシアの同盟を決定づけるものだったとされる。年代記によると、結婚に際して彼女は土地と100マンクスを受け、夫は100マンクス分の刀剣を与えられた。最初の記録は887年で、エゼルレッドがウォルチェスターの不動産を下賜された際の証人に「エゼルレッドの妻」とあるのが、おそらく彼女だとされる。夫はかなり年上だったと考えられ、二人にはエルフウィンという娘がいた。夫の家系は不明で、アルフレッド大王の妹エゼルスウィスとマーシア王バーグレッドの子とする説もあり、その場合はいとこ婚となって教会法上は認められない結婚だったことになる。890年代には夫妻がウスター教会を支持する憲章を出しており、これが二人の共同統治の唯一の記録である。

911年に夫が亡くなると、エセルフリーダはマーシアの貴婦人となった。歴史学者のイアン・ウォーカーは、この継承をアングロサクソン史上、王国の女性支配者の唯一の例であり、中世初期で最も特異な出来事の一つと説明する。ウェセックスでは王室の女性が政治的役割を担うことは許されなかったが、マーシアには女性貴族が一定の政治参加をする伝統があった。夫の死後、エドワードはロンドンとオックスフォードなどを支配下に置いた。ウォーカーは、彼女が自らの地位を弟に認めさせる代わりに領土の一部を譲ったのではないかとみる。

軍事面での働きは大きい。910年にブレメスバラの防壁を強化し、912年にはブリッジノースを固めてセバーン川の要地を押さえ、913年にはタムワースに砦を築いて、レスターを根拠地とするデーン人に備えた。同年、スタッフォードも固められた。914年にはマーシア軍がヴァイキング勢力を撃退し、ウォーリックなどが要塞化された。915年にはマージー川の経路を守るためチャーベリーが強化された。917年にダービーを攻めて三つの勢力からなるヴァイキング軍を壊滅させ、この戦いで忠実な家臣四人を失ったとされる。歴史家ティム・クラークソンはこれを彼女の最大の勝利と見る。918年初頭にはレスターを手に入れ、周辺のデーン軍の多くが服従した。数か月後には、デーン人統治下のヨークの有力者が忠誠を誓うことを申し出たとされる。

918年6月12日、タムワースで亡くなり、遺体はグロスターの聖オズワルド教会に夫とともに葬られた。ウィンチェスターの王家の霊廟ならマーシアの従属を、レプトンならば独立の宣言を示すことになるため、国境に近いグロスターは妥協の選択だったとの見方がある。地位は娘エルフウィンが継いだが、同年12月初め、エドワードはこれを廃してマーシアを自らの支配下に置いた。ウェセックス版の年代記は彼女を王の妹と記すだけだが、マーシア版は「マーシアの貴婦人」と呼び、アルスター年代記は「名高きサクソンの女王」と記した。「最後のマーシアの女王」と呼ぶ歴史家もいれば、弟との協力関係で従属的な役割を受け入れたとみる歴史家もいる。

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