伝記
アルセスは、アケメネス朝ペルシア帝国の王である。在位は紀元前338年9月頃から紀元前336年までで、即位に際してアルタクセルクセス4世を名乗った。生年は分からず、没年は紀元前336年とされる。治世のあいだは傀儡として過ごした。
名のアルセスはギリシア語史料で知られる形で、おそらく即位前の本来の名であったと考えられる。古代ペルシア語ではアルシャーに近い形で、「男、英雄」を意味する語に由来するとされ、アルサケスと同じ語源である。即位にあたってアルタクセルクセスを名乗ったことは、クサントスやレトーンから出土した三言語碑文や、サマリアの陶片によって確認されている。父や祖父と同じく王名を受け継いだことになる。
アルセスはアルタクセルクセス3世とその妻アトッサの末の息子として生まれた。兄弟にはビスタネスという者の名だけが伝わる。父王のもとでペルシアは勢いを取り戻し、帝国は再編され、各地の反乱も鎮められていた。ところが紀元前338年の秋、宦官で千人隊長でもあった大臣バゴアスが王を毒殺し、アルタクセルクセス3世の子の大半も殺した。アルセスとビスタネスは難を免れた。バゴアス自身が王位を望んでいたともいわれ、若いアルセスを王に据えて、思いのままに操ろうとしたとされる。実権はバゴアスの手にあり、この暗殺はペルシアに大きな動乱をもたらしたと見られている。
そのころギリシアでは、多くの都市国家がコリントス同盟に加わり、マケドニア王ピリッポス2世がその盟主となっていた。ピリッポスはペリントス支援の件を持ち出し、アルタクセルクセス3世の時代にペルシアがこの都市を助けたことへの賠償を求めた。アルセスがこれを拒んだため、ピリッポスはそれを口実に遠征を始め、紀元前336年に1万人のマケドニア兵を小アジアへ送った。
同じ年、アルセスはバゴアスの影響から逃れようと、バゴアスに毒を盛ろうとしたが失敗した。逆に自らが毒殺され、家族もともに殺されたという。バゴアスはアルセスの従兄弟にあたる人物を王位に就け、これがダレイオス3世である。のちにアレクサンドロス3世はダレイオス3世へ送った書簡で、ダレイオスがアルセスを殺したと非難している。マケドニア側の宣伝は、アレクサンドロスの征服を正当化するためにこの見方を用い、アルセスをアケメネス朝王家の最後の王として描いたと考えられる。王の肖像としては、王名を刻んだ貨幣は残っていない。ただ、キリキアの総督マザイオスの同時代の貨幣の裏に、王冠を戴く若い統治者として描かれているのがアルセスだとも考えられている。表には座した父アルタクセルクセス3世が見える。
同じ年に亡くなった人物
- アミュンタス4世 (紀元前336年没)
- アッタロス (将軍) (紀元前336年没)
- ピリッポス2世 (マケドニア王) (紀元前336年没)
同じ地域に関係する人物
- カルディアのエウメネス (紀元前316年没)
- アラーウッディーン・テキシュ (1200年没)
- ヤズデギルド1世 (420年没)
- サラーフッディーン・アリー・ヤズディー (1454年没)
- マスウード・ラジャヴィー (2003年没)