伝記
サリティスは、マネトの伝承においてヒクソスの最初の王とされる人物である。下エジプトを征服して支配し、第15王朝を開いたという。ギリシア語ではサラティスやサイテスとも呼ばれる。
この王の事績は、フラウィウス・ヨセフスの著作『アピオーンへの反論』のいくつかの箇所で主に知られる。ヨセフスはそこでマネトの原文を伝えていると主張した。それによれば、ティマイオスまたはトゥティマイオスという名のエジプト王の治世に、近東から外国人の軍勢が突然やってきて、戦わずにナイル・デルタを奪った。侵入者はメンフィスを征服し、おそらくティマイオスを退位させた。そのうえで都市や神殿を破壊し、土着のエジプト人を殺したり捕らえたりするなどの残虐行為に及んだ。その後、彼らは仲間の一人であるサリティスを王とした。サリティスはメンフィスに住み、上エジプトと下エジプトから貢物を取り立て、戦略上の要所に砦を築かせた。
サリティスは新たな征服地を押さえ込もうと決意していた。そのため東の国境を固め、独立心の強い上エジプト人を抑えられる、威圧的な拠点を築く場所を探した。見つけたのは、ナイル川のブバスティス支流の東岸にあるアヴァリスの町であった。彼はこの町を築いて城壁で堅固にし、国境の守備隊として大軍を置いたという。その数は24万人にのぼったとされる。毎年夏にそこを訪れ、一部は穀物の配給と給金の支払いのため、一部は兵に軍事訓練を行って外国人を威嚇するためであったという。サリティスは19年間王位にあって死去し、王座はビノンまたはベオンと呼ばれる別のアジア人に移った。
サリティスを、考古学で確認できる王と結びつける試みは繰り返されてきた。メンフィスの神官の系譜文書に見えるシャレクと同一視されたこともあり、史料の多いシェシ王と結びつけられたこともある。ベッケラートはヤクビムと結びつけられるとし、ウィリアム・オルブライトはウンマン・マンダの王ザルティと同一人物ではないかと示唆した。クロード・ヴァンデルスレーンはシェシ、キム・ライホルトはセムケンと同定した。現在の知見では、サリティスの正体は特定されていない。名の原義も分からず、サイテスという異形にはデルタの都市サイスへの言及が含まれるかもしれない。また、聖書の族長ヨセフがエジプト滞在中に帯びた称号シャリットと関連づける見方もあり、「権力の守り手」の意とされるが、きわめて弱い推測とみられている。前任者ティマイオスはジェドネフェルラー・デドゥモセと同一視されたことがあるが、この説は根拠が弱いと疑問視されている。