伝記
ネヘシ(即位名アアセヘトラー)は、分裂した第二中間期にナイル・デルタ(下エジプト)を治めた王である。多くの研究者は、第14王朝の初期、2代目か6代目の王に置く。治世はごく短く、前1705年ごろに在位して東デルタのアヴァリスから統治したとされる。一方、近年の証拠からは、同名のもう1人、すなわち前1580年ごろの第15王朝後期にあたるヒクソス王の息子がいた可能性も出ている。トリノ王名表の王ネヘシのものとされてきた遺物の大半は、実はこのヒクソスの王子に属するのかもしれない。
ライホルトは、ネヘシがシェシの息子で直接の後継者であり、母は王妃タティだったと提案した。ベイカーも同意見で、タティはヌビア人かヌビア系だったはずで、ネヘシという名が「ヌビア人」を意味するのもそのためだとする。シェシがカナン系と考えられることから、ネヘシもカナン系とみなされている。セムナ(ヌビア)で見つかった1つと出所不明の3つ、計4つの聖甲虫は、父王との一時的な共同統治を示す。聖甲虫のうち1つは彼を「王の息子」、さらに22個は「王の長子」と記す。ライホルトとベイカーは、兄のイプクの死後、ネヘシが後継者になったと考える。ビータクとフォン・ベッケラートは、ネヘシを第14王朝の2代目とみなす。
ビータクによれば、この王国は第13王朝の末期、前1710年ごろかその直後に始まった。第13王朝がゆるやかに崩れた結果であり、これ以後、アフメス1世がアヴァリスを占領するまで、全エジプトを支配できる単独の王はいなかった。これに対してライホルトは、第14王朝の始まりをさらに1世紀ほどさかのぼり、ソベクネフェル女王の時代の前1805年ごろとみる。ネヘシの権威は、テル・エル・ムクダムからテル・ハブワまでの東デルタに及んだ可能性があるが、先王の記念物を奪い、石材を転用する習慣が全般的だったため、実情は複雑である。確実に元の場所で見つかった例は、テル・ハブワとテル・エル・ダバアのものに限られ、王国はもっと小さかったのかもしれない。ネヘシの死後も、第14王朝は短命の王たちのもとでデルタを支配し、前1650年ごろにヒクソスの第15王朝がデルタを征服した。ネヘシは後世にも記憶されたらしく、東デルタの地名に「ピネヘシの館」「アジア人ピネヘシの場所」があり、ピネヘシはネヘシの後期エジプト語形である。
治世は1年ほどと短いが、ネヘシは第14王朝で最もよく確認できる王である。「王の息子」「長子」「王」の肩書で名が現れ、綴りも異なるため、遺物は1人のものとも3人のものともいえる。大半はデルタで見つかり、中心は聖甲虫の印章である。ラアフにあるセト神殿の断片的なオベリスクには「王の長子」と刻まれる。テル・エル・ダバア(アヴァリス)では1980年代半ばに、王名を記した2つの浮彫断片が出土した。テル・ハブワ(古代のティヤル)の2つの石碑は、一方が個人名、他方が即位名アアセヘトラーを記しており、これによって両者が結びつき、それ以前にヒクソス王とみなされていたアアセヘトラーが、ネヘシと判明した。2005年にティヤルで見つかった別の石碑は、王の息子ネヘシが神バネブジェデトに油を捧げる姿を描き、「王の姉妹タニ」にも触れる。同名の女性は、前1580年ごろのヒクソス王アペピの時代の記録にも見える。聖甲虫を研究したベン・トルは、王の息子とする聖甲虫と王とする聖甲虫は様式が異なると見て、別人ではないかと考えた。その場合でも、王ネヘシは第14王朝初期の統治者であり、遺物の一部がヒクソスの王子のものになる。