伝記
ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、1817年7月12日にマサチューセッツ州コンコードで、鉛筆製造業を営む家庭に生まれたアメリカ合衆国の作家、思想家、詩人、博物学者である。アメリカのネイチャーライティングを確立し、ニューイングランド超絶主義を代表する人物の一人とされる。出生名はデイヴィッド・ヘンリー・ソローだったが、のちにヘンリー・デイヴィッドと名乗るようになった。1833年にハーバード大学に入学して古典語、哲学、数学、自然科学などを学び、1837年に卒業した。卒業後はコンコードで教師を務めたが、体罰をめぐる教育方針の対立から短期間で辞め、その後は兄とともに私塾を開いたり、測量や家業の鉛筆製造を手伝ったりしながら、執筆を続けた。学生時代に熟読した『自然』の著者である超絶主義者のラルフ・エマソンらと親交を結び、コンコードを拠点とする超絶主義者のサークルに加わった。
1845年7月、ソローはコンコード郊外のウォールデン池のほとりに自ら丸太小屋を建て、約2年2か月にわたり半自給自足の生活を送った。この経験がのちに『ウォールデン 森の生活』となる。滞在中も前後も、コンコード周辺の自然を詳しく観察し、日記やフィールドノートに植物や動物、季節の変化を記録した。1846年、メキシコ戦争が始まると、戦争に加担するマサチューセッツ州への人頭税の支払いを拒んで一晩拘留された。この経験が、のちにエッセイ「市民の反抗」の基礎となった。このエッセイは良心に基づく非暴力的な不服従の正当性を論じたもので、ガンディーのインド独立運動やキング牧師の市民権運動にも思想的影響を与えたとされる。1850年代には講演や執筆を続ける一方、奴隷制廃止運動への共感を示し、逃亡奴隷を支援する地下鉄道にも関わったとされる。1854年の講演「マサチューセッツ州の奴隷制度」で奴隷制反対を表明し、1857年に奴隷解放論者ジョン・ブラウンと出会うと、その態度を強めた。
処女作は、1849年に自費出版した『コンコード川とメリマック川の一週間』である。若くして亡くなった兄とのボート旅行をまとめた随想だが、当時の社会には全く受け入れられなかった。代表作の『ウォールデン 森の生活』は1854年に出版された。簡素な生活と自己省察を記録し、自然誌、哲学、社会批判、宗教的省察が複合した作品として、さまざまな分野で研究されている。
1855年ごろから体調を崩したが、野外での活動は続けた。1861年12月ごろから悪化し、1862年5月6日、結核のためコンコードで44歳で死去し、スリーピー・ホロー墓地に一家とともに埋葬された。没後に『メインの森』(1864年)や『コッド岬』(1865年)などの旅行記、自然誌のエッセー、日記、書簡集が多数出版された。職業学者ではなかったが、開花期、渡り、結氷、融雪などを長年記録した日記や「カレンダー」と呼ばれる自然誌ノートは、ニューイングランドの長期的な気候変動や生物季節の変化を調べる一次資料として使われている。日本では1911年(明治44年)に水島耕一郎が『ウォールデン』を翻訳出版し、以後も多くの訳書が刊行されている。
同じ年に亡くなった人物
- アウグステ・ロイス・ツー・ケストリッツ (1862年没)
- カール・ルートヴィヒ・クリスティアン・ルムカー (1862年没)
- アレクサンドル2世ギカ (1862年没)
- サミュエル・コルト (1862年没)
- カール・ベルンハルト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ (1862年没)
同じ地域に関係する人物
- オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニア (1894年没)
- アレクサンダー・ガーシェンクロン (1978年没)
- ティモシー・デクスター (1806年没)
- ジョン・ケネス・ガルブレイス (2006年没)
- ロバート・コーミア (2000年没)