伝記
オリバー・ウェンデル・ホームズ・シニアは、1809年8月29日にマサチューセッツ州ケンブリッジで生まれたアメリカ合衆国の作家、医学者である。ボストンを拠点とした詩人、医師、博識家で、同時代の人々から当代最良の書き手の一人と称えられた。代表作は『朝食テーブルの独裁者』(1858年)に始まる「朝食テーブル」シリーズである。同名の息子オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは法律家で、アメリカ合衆国最高裁の名判事となった。
生家はハーバード・ヤードのすぐ北にある家で、バンカーヒルの戦いの作戦が練られた場所だったと言われる。父アビエルは第一会衆派教会の牧師で熱心な歴史家であり、母サラ・ウェンデルは父の二番目の妻で、裕福な家の娘であった。ホームズは母方の祖父である判事にちなんで名付けられた。最初のウェンデルであるエヴァート・ヤンセンは、1640年にオランダを離れてニューヨーク州オールバニに定住した。母方をたどると、最初の詩集を出版したアメリカ人詩人アン・ブラッドストリートの子孫でもあった。幼いころから体が小さく喘息持ちだったが、早熟で知られ、8歳のときには5歳の弟ジョンを連れて、ケンブリッジで最後となった公開絞首刑を見に行き、両親に叱られた。父の書斎を探検するのを好んだが、蔵書の大半は神学書で、荘重な二つ折り本に囲まれていたと後年に書いている。ドライデンやポープ、ゴールドスミスらの詩に触れて、自分でも詩を作って暗唱するようになり、13歳のときの詩が父によって書き写されている。
優秀な生徒ではあったが、おしゃべりで、授業中に物語を読む癖があり、教師にたびたびとがめられた。ケンブリッジポートの私立学校に通い、同級生には、のちの批評家で作家のマーガレット・フラーがいて、その知性に感心したという。15歳でマサチューセッツ州アンドーヴァーのフィリップス・アカデミーに送られた。父は、長男が自分と同じ聖職に就くことを望んだが、本人は神学者になる気はなく、1年しか通わなかった。文芸クラブの一員として評価されたものの、教師の大半の態度を嫌った。一人の教師は彼の詩の才能に気づき、その道に進むよう勧めたという。16歳の誕生日の直後にハーバード大学に合格した。
1829年に卒業し、短期間、法律を学んでから医学の道に転じた。1830年に詩「古い装甲艦」を発表し、これは軍艦コンスティチューション号の保存に影響を与えたとされる。パリの名門医学校で研修を受け、1836年にハーバード大学医学部から医学博士の学位を授与された。1838年からダートマス医科大学院の教授を務め、1847年に母校ハーバードの医学部の教授となり、一時は学部長も務めた。医学の改革者としても知られ、1843年の論文では、医師が産褥熱を患者から患者へ運びうるという、当時は論争を呼んだ考えを示した。1882年にハーバードを退き、その後も詩や小説、随筆を書き続けた。友人にはエマソン、ロングフェロー、ローウェルがいて、雑誌『アトランティック・マンスリー』の名付け親でもあり、「ボストン・ブラーミン」という言葉や「麻酔」という語を広めた。1894年10月7日に没した。
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