HISTORICAL PERSON · 1860年没

チャールズ・グッドイヤー

アメリカの発明家。破産や投獄を重ねながらゴムの実験を続け、温度で固くなったり溶けたりするゴムの欠点を克服する加硫法を発明した。

生涯
1860年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(ニュー・ヘイヴン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

チャールズ・グッドイヤーは、1800年12月29日にコネチカット州ニューヘイブンで、農民アマサの6人兄弟の長男として生まれたアメリカの発明家で、ゴムの加硫法を発明した人物である。父は象牙のボタン作りに関心を持ち、水車を使える土地を求めて一家はノーガタックに移った。父は製粉業と農場を営み、少年チャールズは家業の手伝いに追われた。1816年、16歳で機械学を学ぶためフィラデルフィアに出て、21歳で実家に戻ると、父のボタン製造を手伝いながら、当時ほとんどが輸入品だった農器具の製造に取り組んだ。24歳のとき、生涯その発明を支え続けたクラリッサ・ビーチャーと結婚した。その後フィラデルフィアで農具の鍛冶店を開き、信頼できる品として評判を得たが、30歳ごろ健康を損ない、事業も傾いて破産した。以後の十年は辛い時代で、借金のために何度も投獄された。

1831年ごろ、新素材のゴムに興味を持ち、関係する新聞記事を切り抜いて集めた。ニューヨークでロクスバリー・ラバー社のゴム製浮き輪を買って試し、チューブの不完全さにあきれて、自分で試作品を作って同社に持ち込んだ。当時のゴムは、冬は固まり、夏は溶けてべたつくという欠点があり、同社は製品の信頼性の不足から倒産寸前だった。彼は欠点を克服する決意を固め、債権者に訴えられて再三刑務所に入りながら実験を重ねた。ニューヘブンに小さな工房を建て、自宅を材料の粉砕や攪拌ができるよう改造し、妻や子の協力のもとで研究したが、出資者は失望して資金を引き上げた。ニューヨークでは薬剤師の友人の屋根裏で実験を続け、有毒ガスで窒息して危篤になったこともある。硝酸に浸したゴムの表面が粘りを失うことを見いだし、この酸による方法で作った製品により、ジャクソン大統領から励ましの手紙を受けた。スタテン島に工場を建てたものの、1837年の恐慌で再び破産し、すべてを失った。

ボストンで借金をして開発を再開し、酸による方法の特許を取って政府と郵袋150個の納入契約を結んだが、袋は溶けて変質し、返品が相次いだ。重要な発見は1839年の冬で、ゴムに硫黄を混ぜて加熱したところ、溶けずに革のように焼け焦げ、周囲に乾いた弾力のある褐色の物質が残った。硫黄がゴムに耐熱性を与えることを知った彼は、胃痛や痛風に悩まされ、足を引きずりながら適切な熱の加え方を探った。極貧の暮らしの中で、家財の多くを売り払い、皿がなくなるとゴムで皿を作るほどであった。ボストンでホテル代を払えず拘留され、戻ると息子の一人が亡くなっていて、借りた馬車で小さな棺を墓地まで運んだ。12人の子のうち6人が幼くして死んだ。

やがて華氏約270度の蒸気で4〜6時間圧力をかけると一定の結果が得られると分かり、義弟デ・フォレストの援助でスプリングフィールドに工場を作った。1844年6月15日に加硫ゴムの特許を取得したが、侵害が相次いで32件もの訴訟を戦い、1852年には国務長官ダニエル・ウェブスターが弁護を引き受けた。イギリスではトーマス・ハンコックが先に特許を出願し、のちに訴訟となった。1855年、ナポレオン3世からレジオンドヌール勲章を授けられた。1860年7月1日にニューヨークで没し、故郷ニューヘブンに葬られた。20万ドルの借金が残ったが、家族は特許収入で安定した暮らしを送った。

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