伝記
ティリバゾスは、アケメネス朝ペルシアの総督である。前440年ごろから前370年ごろまで生きたとされ、アルメニアの総督、のちにアナトリア西部リュディアの総督を務めた。ペルシア王アルタクセルクセス2世の信任が厚く、クセノポンによれば、彼が居合わせるときには、王が馬に乗る手助けをする栄誉を他の誰も受けなかった。前395年までは西アルメニアのヒュパルコス(副総督)であった。
その後、ティトラウステスの跡を継いでサルディスを拠点とする西方の総督となった。前393年、スパルタのアンタルキダスがスパルタのための和平を王と結ぶべく、彼を通じて交渉に派遣された。前392年、コリントス戦争のさなかに主要な交戦国の使節を迎えて会議を開き、戦争終結案を話し合ったが、協議は不調に終わった。それでもティリバゾスは、アテナイがエーゲ海でペルシアの脅威になりつつあると確信し、密かにスパルタ艦隊再建の資金を出した。これを知った王は彼を解任し、反スパルタ政策をとるストルタスを後任にした。
ところが5年後の前387年にティリバゾスは再び権力の座にあり、アンタルキダスと協力してスパルタ艦隊を立て直し、アテナイの利害を脅かした。これによりアテナイとその同盟国は交渉の席に着くことになり、ティリバゾスは王の代表としてその交渉に臨んだ。これが「アンタルキダスの和約」へとつながった。前386年から385年には、キュプロスのサラミス王エウアゴラス1世を討つペルシア遠征の共同指揮官となった。ティリバゾスが海軍を率い、アルメニア総督オロンテスが陸軍を率いた。準備は前382年までに整い、翌年にキュプロスの都市キティオン近くで戦いがあって、より大きな艦隊をもつペルシア側が勝った。エウアゴラスはサラミスに退いて防備を固め始めた。
エジプトのファラオ、ハコルの助けを得られなかったエウアゴラスは、ティリバゾスと和平を交渉し、サラミス以外のキュプロスの全都市から手を引き、毎年一定の貢納を王に納めることを申し出た。ティリバゾスは受け入れる気だったが、エウアゴラスが王の地位まで手放すことを拒んだため交渉は決裂した。この交渉を受けてオロンテスは、ティリバゾスが戦争をわざと長引かせ、独立を図っているとアルタクセルクセス2世に告発した。王は遠方から正しく判断できなかったが、最近の成果を台無しにされる危険も冒せず、彼をスサに投獄させた。これは遠征軍の立場を大きく弱めた。
ティリバゾスの義父グロスは自らの立場を恐れて王への陰謀を企て、ひそかにエジプトやスパルタと和を結んだ。エウアゴラスはスパルタの助けを得て、オロンテスの立場を危うくする情報をグロスに与えた。脅されたオロンテスは前380年にエウアゴラスと和平を結ぶほかなかった。エウアゴラスは貢納の義務を負うが、奴隷ではなく従属する王としてであった。遠征に1万5000タラントがかかっていたため、王はこの決着に満足せず、オロンテスは不興を買った。その間にティリバゾスは赦され、以前の地位に戻された。ティリバゾスは以前にも増して王の寵愛を受け、王女アメストリスとの結婚を約束された。しかし王は約束を破り、自らアメストリスと結婚した。のちに末の王女アトッサをめぐって再び約束が破られると、もはや王への忠誠を保てず、王の子ダレイオスをそそのかして王の命を狙う陰謀に加わらせた。陰謀は宦官によって王に密告され、一味は露見した。ティリバゾスは逮捕しに来た衛兵に必死に抵抗したが、投げ槍で殺された。息子アルパテスは、のちにアルタクセルクセスが愛した子アルサメスを殺した。