HISTORICAL PERSON · 紀元前400年代没

ソポクレス

アッティカ三大悲劇詩人の一人。120編を書き、『オイディプス王』など7編が完全な形で伝わる。悲劇コンテストで18回優勝し、3位以下は一度もなかった。脇役を加えてコロスの比重を下げ、作劇法を発展させた。

生涯
紀元前400年代没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / アテネ)
出生地
アテナイ(ヒッペイオス・コローノス)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

ソポクレスは、紀元前497年か496年ごろに生まれ、紀元前406年から405年にかけての冬に亡くなった古代ギリシアの悲劇詩人である。アイスキュロス、エウリピデスとともにアッティカ三大悲劇詩人の一人に数えられる。ソピロスの子で、アテナイ近郊の集落の裕福な市民の家に生まれた。この集落はのちに彼の劇の舞台にもなり、本人もそこの生まれと考えられている。生年はマラトンの戦いの少し前と推測されるにとどまり、正確な年は分からない。父は防具製作の職人で、一家は富み、ソポクレスは高い教養を身につけたという。紀元前480年のサラミスの海戦の勝利を祝う際には、神に祈りの歌を捧げる合唱隊の先導者に選ばれている。

紀元前468年のディオニュシア祭の悲劇コンテストで初めて優勝し、当時の指導的な詩人アイスキュロスを破った。プルタルコスによれば、この勝利は異様な雰囲気の中でもたらされ、慣習の抽選ではなく、アルコンがキモンと将軍たちに諮って勝者が決まったという。ただし、この作品が処女作だったという伝承には現代の研究者から疑問が出ており、実際の処女作は紀元前470年の上演のいずれかだろうとされる。以後、彼はコンテストで50年近く最も称賛される作家であり続けた。参加30回のうち18回が1位で、残りはすべて次点であり、3位以下になったことは一度もなかったとされる。生涯に120編もの戯曲を書いたが、完全な形で残るのは『オイディプス王』『アンティゴネ』『アイアス』『トラキスの女たち』『エレクトラ』『ピロクテテス』『コロノスのオイディプス』の7編だけである。

作劇上の功績としては、三人目の俳優を導入したことが大きい。これによってコロスの役割は大幅に小さくなり、筋の展開や人物同士の衝突を描く可能性が開けた。先輩のアイスキュロスも晩年にはこれにならったという。舞台美術を最初に導入した人物とするアリストテレスの記述もある。人物の掘り下げにも従来の詩人より深いものがあり、『オイディプス王』はアリストテレスが『詩学』で悲劇の最高傑作の一例に挙げた。彼の名声は異国にも聞こえ、宮廷への招きが何度もあったが、すべて断ってアテナイに留まった。

公人としても働き、紀元前443年から442年にはデロス同盟の財務職に就き、ペリクレスの時代の財政運営を助けた。『ソポクレス伝』によると、紀元前441年には十人の将軍の一人に選ばれてサモス島遠征に従軍したといい、『アンティゴネ』の成功がその地位をもたらしたと考えられている。紀元前420年には自宅に医神アスクレピオスの祭壇を整えて神を迎え、死後に「迎え入れる者」の名を贈られた。紀元前413年にはシチリア遠征軍の壊滅に対応する事務官の一人に選ばれた。

紀元前406年から405年の冬、90歳か91歳で世を去った。ペルシア戦争の勝利からペロポネソス戦争の惨禍までを見てきた生涯であった。死には真偽不詳の逸話が多く、長い台詞を息継ぎなしで朗誦して絶命した、ぶどうを喉に詰まらせた、といった説が伝わる。晩年に耄碌したとして息子たちに迫られたとき、未発表の『コロノスのオイディプス』の一節を法廷で朗誦して反駁したという話も、キケロが『老年論』で語っている。息子の一人や、祖父と同名の孫もまた劇詩人になった。

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