伝記
デヴィッド・リカードは、自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリスの経済学者である。1772年4月18日にロンドンで生まれ、1823年9月11日に没した。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出することで、経済厚生が高まるという「比較生産費説」を主張した。スミス、マルクス、ケインズと並ぶ経済学の黎明期の重要人物とされ、とりわけ「近代経済学の創始者」と評される。
ロンドンに、17人きょうだいの3番目として生まれた。家はスペイン系、ポルトガル系のユダヤ人で、生まれる少し前にオランダからイギリスへ移ってきた。父エイブラハムは成功した株式仲買人であり、母アビゲイルは、イギリスに三世代にわたって暮らし、タバコや嗅ぎタバコを商う「小さいながら繁盛した」商家の娘であった。14歳のとき、ロンドン証券取引所で父の仕事に加わった。21歳のとき、家族の正統派ユダヤ教の信仰を拒み、クエーカー教徒のプリシラ・アン・ウィルキンソンと駆け落ちして、のちにユニテリアン派の信徒となった。この宗教の違いから家族と離れ、父は彼を勘当し、母は二度と口をきかなかったらしい。自ら株式仲買人として独立し、有力な銀行の支援を受けて、政府の公債の引き受けで利益を上げ、財産の大半を築いた。
証券取引所での成功で裕福になり、42歳の1814年に仕事を引退して、グロスターシャーに邸宅を購入し、生涯の住まいとした。1818年から翌年までグロスターシャーの州長官を務め、1818年8月には、ポーターリントン選挙区の議席を買い取った。国会議員としては筋金入りの改革論者で、自由貿易、議会改革、刑法改革を主張し、穀物法の廃止を訴えた。1821年には、トーマス・トゥックやジェームズ・ミル、マルサス、ベンサムら著名な人々とともに、経済学の研究会の設立に尽力した。ジェームズ・ミルは親友で、政治への大志や経済学の著述を勧めた。論敵でもあったマルサスにも、死の10日前に手紙で、議論が友情を傷つけなかったと書いた。
1799年にアダム・スミスの『国富論』を読み、経済学に関心を持つようになった。1797年にイングランド銀行が金本位制を停止し、不換紙幣の増発でインフレーションを招いていたため、1810年に小論を発表し、貨幣数量説に立って金本位制への復帰を主張した。37歳で書いた最初の経済学の論文であった。1815年には、穀物法の廃止が社会の生産的な構成員により多くの富を分配すると論じた。
1817年の『経済学および課税の原理』が主著である。第7章で比較優位理論を展開し、ある国がすべての財の生産で貿易相手国ほど効率的でなくても、すべての国が自由貿易から利益を得られることを示した。穀物法をめぐるマルサスとの論争から、自由貿易の主張と地代論が生まれ、地代は人口の増加につれて成長すると結論づけた。第3版の第31章「機械について」では、機械の導入が失業を生む可能性を取り上げ、それまで失業はないと考えていたが、短期的には失業の可能性を認めた。
リカードの等価命題は、国債の発行が将来の増税を予想させるため、人々が消費を抑え、財政支出の効果は今増税することと変わらないとする仮説で、ロバート・バローの提起により、「リカード=バローの中立命題」とも呼ばれる。リカードの労働価値説は、マルクスの経済学の中心的な枠組みとなった。差額地代論は、ワルラスによって発展させられ、のちの新古典派経済学に貢献した。1823年、耳の感染症から敗血症を起こして51歳で急逝し、莫大な遺産を残した。
同じ年に亡くなった人物
- オットー・ヘンリク・イーゲルストロム (1823年没)
- エドモンド・カートライト (1823年没)
- ヘンリー・レイバーン (1823年没)
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- アントニオ・ナリーニョ (1823年没)
同じ地域に関係する人物
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