伝記
エレアのゼノンは、古代ギリシアの自然哲学者で、南イタリアの小都市エレアの人である。紀元前490年ごろに生まれ、前430年ごろに没したとされ、「ゼノンのパラドックス」を唱えたことで名高い。生涯についてはほとんど確かなことが分からず、エレアの出身で、パルメニデスの弟子だったという点だけがはっきりしている。伝えによれば、テレウタゴラスの子として生まれたが、養子縁組によってパルメニデスの子となり、生涯にわたって師の弟子であり、同時に愛人でもあったという。プラトンの対話篇『パルメニデス』では、ゼノンが四十歳ほどの時期の場面が描かれ、ソクラテスが二人のかつての恋愛関係をほのめかしている。この描写がどこまで実像に近いかは不明だが、少なくとも一定の真実を含むとみられている。
エレアを愛していたため、学問の中心アテナイには移らず、生涯を祖国で過ごしたとされる。ソクラテスやペリクレスも彼の講義を聴いたことがあると伝わり、プラトンは知将パラメデスになぞらえて彼を「エレアのパラメデス」とも呼んだ。著作は失われており、一冊の書を書いたことだけが知られる。この本は『パルメニデス』の中で、若いころに書いたものとされ、許しなく盗まれて公にされたという。彼の議論は、プラトンやアリストテレス、ディオゲネス・ラエルティオス、六世紀のシンプリキオスらの記述を通じて伝わっている。
思想の面で、彼はパルメニデスやサモスのメリッソスと並ぶエレア派の主要な三人の一人である。この学派は、実在するものはただ一つで不動だとする一元論に立ち、ゼノンは師の考えを弁護するため、対立する多元論、とりわけピタゴラス学派の主張を論駁する道を選んだ。相手の主張を前提にして矛盾した結論を引き出す論法が特色で、たとえば存在が多であるなら、それは有限であると同時に無限でもあるという矛盾になる、と示した。プロクロスによれば、多を否定する論証は四十あった。運動を否定する「飛ぶ矢は動かず」や「アキレウスと亀」もよく知られるが、後者はパルメニデスのものだとする説もある。アリストテレスは彼を「弁証法の創始者」と呼び、問答によって知を探る方法は彼が初めて発見したと述べた。「実在するものが世界のすべてで、変化も運動もない」という命題は彼が師から継いだもので、レウキッポスに影響を与えたとされる。また、世界は複数あって虚空はなく、万物は温・冷・乾・湿の要素から成り互いに変化し、魂はそれらが偏りなく混ざったものだという世界観も、彼のものとして伝えられている。
最期は政治活動と結びついて語られる。エレアを支配していた僭主ネアルコス(ディオメドンとする一説もある)を打倒しようとして捕らえられ、刑死したという。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、共謀者の名を明かすことを拒み、耳打ちするふりをして僭主に近づき、その耳に噛みついて刺し殺されるまで離さなかった。別の伝えでは、僭主に向かって「国家に仇をなすあなたこそ首謀者だ」と言い放ち、自分の舌を噛み切って吐きかけたので、市民が奮い立って僭主を石で打ち殺したという。さらに石臼の中に投げ込まれて打ち殺されたとする話もあり、伝えは一致しない。彼のパラドックスは古代から現代まで哲学や数学に影響を与え、その解決について哲学者の合意はいまも得られていない。原子論や極限、集合論といった現代の数学や物理学の展開が、その考えに挑む手がかりにもなっている。
同じ年に亡くなった人物
- プロタゴラス (紀元前430年代没)
- メリッソス (紀元前 430年(推定))
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス (紀元前 430年(推定))
- ペイディアス (紀元前430年代没)
- エンペドクレス (紀元前430年代没)
同じ地域に関係する人物
- アルフォンソ・デ・リゴリ (1787年没)
- ピエール1世 (アランソン伯) (1284年没)
- ルッジェーロ3世 (プッリャ公) (1148年没)
- ガザのテオドロス (1475年没)
- マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ (1412年没)