伝記
エンペドクレスは、古代ギリシアの自然哲学者であり、医者、詩人、政治家でもあった人物である。シチリア島のアクラガス(現在のイタリアのアグリジェント)に生まれ、四元素説を唱えたことで知られる。生没年ははっきりせず、紀元前490年ごろから前430年ごろとされるが、古代の証言をもとに前495年から前435年とする見方や、前484年ごろから前424年ごろとする見方もある。名家の出で、祖父はオリンピア競技の競馬で優勝し、父メトンは前470年に僭主トラシュダイオスの打倒に関わったと伝えられる。彼自身も優勝したことがあるようだという。ピタゴラス学派に学び、パルメニデスの教えを受けたとされる。
幼いころのアクラガスは僭主テロンのもとで最盛期にあり、芸術や宗教への関心が高い土地柄だった。テロンの子の僭主政が倒れて民主政が敷かれると、彼はこの転換に重要な役割を果たし、寡頭派の「千人会」を解散させたという。人々に党派の争いをやめて政治的平等を育むよう説き、与えられようとした役職も断った。自由を重んじ、権力に屈しなかったとされ、宴席で客に酒の一気飲みを強いた評議会の監督官を、翌日に告発して有罪にさせた逸話が残る。こうした姿勢のため多くの敵をつくり、彼が町を空けた間に政敵が陰謀を企て、帰還を阻んだとも言われる。
医者としても名高く、シチリアの医学派の祖ともされるが、それを友人アクロンに帰す説もある。強風が町を襲ったとき、ロバの皮で多数の革袋を作らせて山の尾根に張り巡らせ、風を鎮めたため「風を封じる人」と呼ばれたという。セリヌスの町が汚れた川から広がる疫病に苦しんだときには、私財を投じて別の川の流れを引き込み、水を中和させて疫病を鎮めたと伝わる。一方、金冠を戴き、紫の衣に金の帯を締め、デルポイの花冠を携えて諸都市を巡ったともされ、奇跡めいた話が彼の神秘的な像を強めた。
思想では、万物の根源を火、水、土、空気の四つの「根」とし、これを結び付ける「愛」と引き離す「憎」を立てた。四つの根は生まれも消えもせず、愛と憎の支配が交替するなかで集合と離散を繰り返すとされる。魂は頭や胸ではなく血液に宿るとし、転生を支持して「わたしはかつて少年であり、少女であり、藪であり、鳥であり、海ではねる魚であった」と述べた。視覚は目から光が出て対象に当たって生じると考えた。著作は数千行の哲学詩『浄め』と『自然について』のほか医学書や悲劇にも及んだが、現存するのは哲学詩の断片約500行のみである。20世紀初めの1904年、エジプトのパノポリスの墓所で、被葬者を飾る花輪の芯材に転用されたパピルスが見つかった。ストラスブール大学に収められたこの写本は、1990年代に最新の技術で修復が進み、彼の詩と判明した。書写は紀元前1世紀後半と推定され、ソクラテス以前の哲学者のパピルスとしては唯一の例である。
死については、エトナ山の火口へ身を投げたという話のほか、馬車から落ちて骨折したのが原因だという説、追放先のペロポネソスで死んだという説などがあり、真偽は定かでない。別の伝承では、野での供犠の後、客が去っても彼だけが残り、翌日には姿がなく、召使いが声と天の光を見聞きしたと語ったため、弟子パウサニアスが彼を神として讃えるべきだと判断したという。エトナ山への投身は作り話だとして退ける古代の人も多かった。ホラティウスは『詩論』で「詩人たちに自決の権利を許せよ」と詠んだ。後世には、ヘルダーリンがこの説を主題に未完の戯曲『エンペドクレス』を書き、芥川龍之介も遺書の末尾にその話を付記した。
同じ年に亡くなった人物
- メリッソス (紀元前 430年(推定))
- ゼノン (エレア派) (紀元前430年代没)
- ペイディアス (紀元前430年代没)
- プロタゴラス (紀元前430年代没)
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス (紀元前 430年(推定))
同じ地域に関係する人物
- フェデリーコ2世 (シチリア王) (1337年没)
- ルドヴィーコ (シチリア王) (1355年没)
- John, marquess of Randazzo (1348年没)
- マンリオ・スガランブロ (2014年没)
- コンスタンサ・デ・アラゴン・イ・ナバラ (1363年没)