伝記
アルケタス2世は、古代マケドニアのアルゲアス朝の王とされる人物である。没年は紀元前448年ごろで、生年は伝わっていない。在位は紀元前454年から紀元前448年までとされ、先代の王アレクサンドロス1世の長子で、弟にペルディッカス2世とピリッポスがいたといわれる。子にはアレクサンドロスがいた。
この人物についての伝えは、主にプラトンの対話篇『ゴルギアス』に拠っている。そこでは登場人物ポロスが語る話として、次のような経緯が述べられる。アルケタスは父王の死後に王位についたが、のちに弟のペルディッカスに王位を奪われた。アルケタスには奴隷の女がおり、その女とペルディッカスの間にアルケラオスが生まれた。当時の法の考え方では、アルケラオスは本来、伯父であるアルケタスに仕えるべき身分だったという。のちにアルケラオスは、ペルディッカスが奪った王位を返してやるという名目でアルケタスを自宅に誘い出し、盛大な宴で酔わせた。そして夜のうちに戦車で町の外へ運び出し、息子のアレクサンドロスともども殺させた。ポロスの語りでは、アルケラオスはアレクサンドロスを同じ戦車に乗せ、父とともに殺すよう命じたとされる。アルケラオスはその後、父ペルディッカスの跡を継いで王となり、ペルディッカスと王妃クレオパトラの間に生まれた7歳の正嫡の子を井戸に投げ込んで溺れさせ、母には誤って落ちたと告げたとも語られる。
一方で、アルケタスが王だったという見方には疑問も示されている。カイサレイアのエウセビオスの年代記に載る王の列では、アレクサンドロス1世が44年間在位し、そのあとをペルディッカス2世が22年または23年間治めたことになっていて、アルケタスの名は見えない。シチリアのディオドロスの王の一覧にもその名はない。このため、アルケタスは王位についたのではなく、ペルディッカスの治世のもとで領地を与えられた立場にあったとする説が、近年の研究では有力になっている。
その説によれば、アテナイで見つかった碑文の断片に、マケドニアからアテナイへの木材の供給を定めた条約が刻まれており、おそらく紀元前440年ごろのものである。署名者の筆頭にペルディッカスが、2番目にアルケタスが挙げられる。したがって、ペルディッカスが兄弟のうち最年長で父の王位を継ぎ、アルケタスは弟のピリッポスと同じく、ペルディッカスの臣下として分国を与えられたにすぎないと考えられる。ペルディッカスは父の死後まもなく、ピリッポスを領地から追い、自らの直接支配下に置いた。アルケタスにも似たことが起こり、プラトンの語りはそのことを指すとされる。ピリッポスが力で抵抗したのに対し、アルケタスはおとなしく運命に従ったらしく、甥のアルケラオス1世の治世にも生きていたと考えられている。
アルケタスは、昔の研究では、紀元前450年ごろに父の跡を継いだ最年長の王と考えられていた。系譜の研究者の中には、アレクサンドロス1世の子をピリッポス、ペルディッカス2世、アミュンタス、アルケタスの4人とし、アルケタスを王には数えない者もいる。
同じ年に亡くなった人物
- ヴィルジニア (紀元前448)
同じ地域に関係する人物
- Eusebia (360年没)
- クラテロス (マケドニア王) (紀元前399年没)
- オレスティスのパウサニアス (紀元前335)
- マケドニアのニケア (紀元前301)
- アンドロニコス・パレオロゴス (テッサロニキ専制公) (1429年没)