伝記
聖バボ(ヘントのバボ)は、7世紀のフランク人の貴族で、のちにカトリック教会と正教会の双方で聖人とされた人物である。バヴォン、アロウィンなどの名でも知られ、生まれたときの名はアロウィンといった。622年ごろにリエージュ近郊、ベルギーのエスバイ地方に生まれたとされ、没年は654年ごろとも659年ともいわれる。
生まれはフランク人の貴族の家で、ブラバント地方の奔放な青年貴族だったという。有利な結婚をしており、伯爵アディリオンの娘を妻に迎えて、アグレトルードという娘をもうけた。兵士としては規律のない乱れた生活を送ったと伝えられる。妻の死後まもなく、聖アマンドが物質のむなしさを説く説教を聞いて、生き方を改める決意をした。帰宅すると財産を貧しい人々に分け与え、アマンドから剃髪を受けたという。
その後しばらくは、アマンドに従ってフランスやフランドルを巡る宣教の旅に加わった。ある時、かつて自分が奴隷として売った男に出会った。バボは昔の行いを償おうと、その男に自分を鎖でつないで町の牢獄まで引いて行かせたという。やがて自分の土地に修道院を建てて修道士となり、持ち物を貧しい人々に与え、隠修士として暮らした。初めは木のうろに、のちには修道院近くの森の小さな庵に住んだとされる。ヘント近郊の隠遁所で過ごしたのは3年間だったともいう。聖ゲルトルーディスの前に現れて、自分の遺体を葬りに来てほしいと頼んだ、という聖人伝の話もある。遺体の聖遺物は、ヘントの修道院に納められた。
没後は崇敬を集め、ヘントとハールレムの守護聖人とされるほか、ゼルリクやラウヴェの守護聖人でもある。祝日は10月1日である。1559年にヘントの守護聖人となり、同市の大聖堂にその名がつけられた。聖遺物はヘントの大聖堂と、ネール・ラ・ルポストのベネディクト会修道院に分けて納められている。中世のヘントでは、聖バボの祝日に税を納める習わしがあり、そのため財布や金袋を持つ姿で描かれることが多い。
美術では、剣と鷹を持つ騎士の姿で描かれることが多い。回心の場面がもっとも好まれ、これには多くの逸話が付随している。鷹とともに描かれることから、鷹狩りの守護聖人ともされるようになった。狩りが好きだったためともいわれ、隠修士として、木のうろや枕にした石とともに表されることもある。ルーベンスが「聖バボの回心」を描き、ボスの「最後の審判」の外側の右翼にも姿が見え、レンブラントも1662年から1665年の間に「聖バボ」を描いた。ダンケルクでは、毎年カーニバルの時期に巨人ロイゼの姿で現れる。バンベルクの町名も、彼にちなむと伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
- Abdur Rahman bin Awf (654年没)
- Anna of East Anglia (654年)
- 孝徳天皇 (654年没)
- 真徳女王 (654年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョゼフ・プラトー (1883年没)
- エミール・クラウス (1924年没)
- フーベルト・ファン・エイク (1426年没)
- Saint Colette (1447年没)
- カレル・ファン・デ・ウステイン (1929年没)