伝記
アル=ハンサーは、アラビア半島の詩人である。本名はトゥマーディル・ビント・アムルといい、575年ごろに生まれ、646年に没したとされる。アラビア語文芸における初期の重要な女性詩人であり、とりわけ悲歌の名手として知られる。ハンサーとは、鼻の特徴にちなむあだ名で、鷲鼻の女と説明されることもあれば、低めの鼻を指すともいう。古代のアラブ人にとっては、美女の理想とされたガゼルをも指す語だったとされる。
イスラーム以前のジャーヒリーヤ時代に、アラビア半島北部のスライム族に生まれた。この部族は多くの詩人を出している。砂漠に暮らすベドウィンは、周囲の変化によって自らも価値観の変化を求められるようになり、多くの詩人が生まれた時代でもあった。ハンサーは富裕で有力な家に育ち、父・母・兄弟ともに詩人の家庭で、のちには恋人や娘も詩人だった。若いころから美しさと聡明さ、弁舌と詩才で際立っていたという。求婚者の一人に、詩人で戦士としても名高いドゥライド・イブン・アッ=スンマがいたが、年老いていることを理由に断り、兄が勧めても聞かず、この求婚者と彼の部族をあざける風刺詩を詠んだと伝わる。これより前にもバドル族の長の求婚を断り、従兄弟のほうがよいと述べて、自らの部族をたたえる詩を詠んだという。最初の夫との間には息子アブドゥッラーが生まれ、のちに彼は預言者の死後の背教運動の鎮圧で活躍した。夫と死別したのちは親族の男性と再婚し、3人の息子と1人の娘をもうけたと伝えられる。
ハンサーは抒情詩人として活動を始めたが、諸部族は互いに紛争や略奪を行なっており、ムアーウィヤとサフルという二人の兄を失う。ムアーウィヤは同じ母から生まれた兄で、父を同じくする異母兄のサフルとともに部族間の戦いで命を落とした。とくにサフルへの愛情は深く、その死は彼女の生涯に大きな影響を与えた。ハンサーは兄の墓をたびたび訪れ、その勇気や気前のよさ、気高さをたたえる詩を詠み、兄の死を嘆くとともに復讐を誓う詩も作るようになった。こうして悲歌によって名を馳せ、アラビア語詩において悲歌を完成させたと評される。作品は、アブー・タンマームが編纂した『武勇詩集』にも収録された。ベドウィンは戦いの一環として詩による誹謗の応酬も繰り広げた。平時にも詩の対決はあり、諸部族が交易で集まる市場が対決の舞台になった。メッカ郊外のウカーズの市場は有名で、ハンサーもここでの詩の対決に参加し、勝利している。
イスラームが興ると、ハンサーは息子たちとともに改宗し、預言者ムハンマドに会ったと伝えられる。ムハンマドは彼女の詩を好み、しばしば朗誦を求めたという。ムハンマドの死後に会った第2代カリフのウマルも、その雄弁と詩才をたたえたとされる。改宗後も兄たちへの悲歌を詠み続け、兄たちが異教徒のまま死んだと指摘されると、それは悲しみをいっそう深めるだけだと答えたとされる。637年のカーディシーヤの戦いに4人の息子とともに加わり、戦死の報を聞いて神に感謝したという話も伝わるが、この逸話や参戦そのものは、史実として疑わしいとする見方もある。
やがてイスラームによってジャーヒリーヤ時代の風習が消えると、女性が社会の前面に出る機会が減り、女性による文芸の記録も減っていった。ハンサーは西欧で初めて論じられたアラブ詩人の一人であるとイスラーム学者に語られ、死に対する作風は現代パレスチナの詩にも通じるともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- スルピス (聖人) (646年没)
同じ地域に関係する人物
- シュラフビール・イブン=ハサナ (639年没)
- アブー・ドゥジャーナ (632年没)
- ズハイル (609年没)
- トゥルキー・ビン・アブドゥッラー (1834年没)
- ハーリド・ビン・アブドゥルアズィーズ (1982年没)