HISTORICAL PERSON · 1797年没

ホレス・ウォルポール

イギリスの政治家・貴族・小説家。初代首相ロバート・ウォルポールの三男で、ゴシック小説『オトラント城奇譚』で知られる。

生涯
1797年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ロンドン)
出生地
イギリス連邦(ロンドン)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

ホレス・ウォルポールは、イギリスの政治家、貴族、作家であり、第4代オーフォード伯爵である。本名はホレイショ・ウォルポール。ゴシック小説『オトラント城奇譚』の作者として知られる。1717年9月24日(ユリウス暦)、初代首相ロバート・ウォルポールと最初の妻キャサリンの三男として、ロンドンで生まれた。名はおそらく叔父のホレイショ・ウォルポールにちなむが、彼はこの名を嫌い、ホレスを名乗った。後世には本当の父が別人だとする説も唱えられたが、同時代の証拠はなく、典拠の怪しい説とされている。母と親しく、父にも生涯敬意を払っていたことから、自身の出自に疑いは持っていなかったと判断されている。

幼いころはベクスリーで教育を受け、1727年から1734年までイートン・カレッジに通った。そこでは、後に詩人となるトマス・グレイや、リチャード・ウェスト、トマス・アシュトンらとともに「四人同盟」と呼ばれる友人関係を結んだ。1731年にリンカーン法曹院に入学し、1735年にケンブリッジ大学キングス・カレッジに進んだ。ここで異端的な神学者コニヤーズ・ミドルトンの影響を受け、キリスト教の教義の一部への懐疑的な態度を生涯保ち、迷信と偏狭を憎んだ。1737年に母を亡くし、その愛は生涯で最も強い感情だったともいわれる。1739年に学位を取らずに大学を出た。生涯独身を通し、父が彼のために確保した三つの閑職からの収入があった。

1739年3月から約2年間、グレイとともにフランスとイタリアへグランドツアーに出た。パリで多くの英国貴族に会い、フィレンツェでは、トスカーナ宮廷の英国公使の補佐官ホレス・マンと友情を結んだ。ローマでは、老僭王ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートとその二人の息子を見かけている。しかし、社交を好むウォルポールと、遺跡の探訪を望むグレイの間には、しだいに溝が生じた。帰路で激しい口論となり、友情は終わりを迎えた。のちにウォルポールは、非は主に自分にあったと認めている。

1741年から庶民院議員を務め、1747年に王立協会のフェロー、1753年にロンドン考古協会のフェローに選ばれた。しかし今日、彼が知られているのは趣味的な生活ぶりによる。別荘のストロベリー・ヒル・ハウスを1750年頃から数十年かけて改築し、中世ゴシック風に仕立てたところ、大変な評判となり、毎日見学者が訪れるほどであった。1757年にはここに印刷所を設け、自作やグレイら友人の作品を印刷出版した。ある日見た夢をもとに、中世の古城を舞台にした幻想的な小説『オトラント城奇譚』(1764年)を書き、これも評判を呼んだ。この館と小説は、イギリスにおけるゴシック趣味の流行に決定的な影響を与えたと評される。書簡も社会的、政治的に重要な記録とされる。

セレンディピティという語を考案したとされ、愛猫家としても知られる。愛猫セリマが金魚鉢で溺れて死んだ際には深く悲しみ、グレイがこの嘆きをもとに、猫に捧げる詩を書いたという。1791年に甥の第3代オーフォード伯爵が没すると、伯爵位を継いだが、貴族院には出席しなかった。1797年3月2日に独身のまま没し、ノーフォーク州に葬られた。

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