伝記
イダは、アングル人の王国ベルニシアで知られている最初の王である。547年ごろから、没した559年まで在位したとされる。その生涯や治世についてはほとんど分かっていない。それでも、のちに大ブリテン島中北部でアングル人の王を称した者たちが、その子孫であると主張した家系の始祖と見なされている。彼の子孫はブリトン人の抵抗を押さえ、最終的に強大なノーサンブリア王国を築くことになる。
『アングロサクソン年代記』は、イダの治世が547年に始まったと示し、エオッパの子で、エサの孫、インギーの曾孫と記している。『ブリトン人の歴史』もエオッパの子とし、ベルニシアの最初の王とする。年代記によれば、彼は12年間王位にあり、ベルニシアの都バンバラ城を築いたという。ただし年代記は後段で、彼の領土を後のノーサンブリアと混同し、実際にはデイラの王であったアエラが彼の後を継いだと述べている。ノーサンブリアは、ベルニシアとデイラが合併して初めて成立した国で、それはイダの孫アゼルフリスの代のことだった。フランス語圏の記述では、イダは半ば伝説的な建国者とされ、エオッパやエサを先代とする説もあるが、その実在を裏づけるものはないという。
『ブリトン人の歴史』に付された系譜は、イダについてさらに詳しい。唯一の王妃の名をベアルノクとし、12人の息子がいたと述べ、アッダ、アゼルリク、テオドリク、エアドリク、テオドヘレ、オスメレ、エアルリクらの名を挙げる。このうち何人かは王として記される。テオドリクは、ウリエン・レゲドとその息子たちが率いるブリトン人の連合軍と戦ったことで知られる。後世の系譜の序文では、正妻の子としてアッダ、ベアルリク、テオドリク、エゼルリク、オスメレ、テオドヘレの6人、側室の子としてオッガ、アルリク、エッカ、オズワルド、ソゴル、ソゴテレの6人が挙げられている。イダの後継者グラッパは、初期の史料ではどの息子の名簿にも入っていない。息子の数や名は史料によって一定しない。
18世紀から19世紀の一部の論者は、イダをウェールズの伝承に出てくる「炎をもたらす者」フラムドウィンと結びつけた。フラムドウィンは、ウリエン・レゲドとその子オワインに対抗したアングル人の指導者で、オワインに討たれた人物である。しかし、この同一視にはほとんど根拠がないとされ、フラムドウィンをイダの子テオドリクとする論者もいる。イダが在位したころ、ベルニシアの支配は海岸から内陸へ大きくは及んでいなかった。西方への大きな拡大は孫のアゼルフリスの時代になってからで、ブリトン人との戦いの記録と、内陸部で6世紀のアングロサクソン期の遺物が乏しいことが、これを裏づけている。
同じ年に亡くなった人物
- ムンズィール3世 (559年(推定))
- 陳霸先 (559年没)
- 陽原王 (559年没)
- ノブラのレオンハルト (559年没)
- 文宣帝 (559年没)
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