伝記
エウリュビアデスは、第二次ペルシア戦争(紀元前480〜前479年)でギリシア艦隊の指揮をとったスパルタの提督(ナウアルコス)である。エウリュクレイデスの子で、ペロポネソス同盟の海軍の長として、ギリシア連合艦隊を率いた。艦船は378隻に及んだともいわれる。
紀元前480年に総司令官に選ばれたのは、スパルタが率いるペロポネソス諸都市がアテナイの勢力拡大を警戒したためとされる。ギリシア諸国は、海戦の技量でアテナイが勝っていることを認めながらも、その指揮下に入ることを望まなかった。互いの反目にもかかわらず、エウリュビアデスはアテナイの海軍指揮官テミストクレスの助けを受けることになる。
最初の仕事は、ペルシア艦隊を迎え撃つためにエウボイア島北のアルテミシオンへ艦隊を進めることだった。着いてみるとペルシア艦隊はすでにそこにおり、エウリュビアデスは撤退を命じた。エウボイア人は留まるよう懇願したが聞き入れられず、代わりにテミストクレスに賄賂を贈って艦隊を引き留めさせた。ヘロドトスによれば、テミストクレスはその賄賂の一部でエウリュビアデスにも支払ったという。ただし、ヘロドトスはテミストクレスに偏見をもっていたと指摘される。続くアルテミシオンの海戦は決着がつかず、ギリシア艦隊はサラミス島へ退いた。
サラミスでは、エウリュビアデスは当初、ヘレネス同盟の陸軍が防備を築いていたコリントス地峡へ艦隊を移そうとした。テミストクレスはサラミスで戦う利点を見抜き、そこで海戦に持ち込もうとした。エウリュビアデスが譲らなかったため、テミストクレスは、ギリシア軍の最大の部隊であるアテナイ艦隊を引き揚げると脅して留まらせたとされる。口論の末、エウリュビアデスが怒って杖を振り上げると、テミストクレスは「打つがいい、だが聞け」と答えたと伝えられる。やがてテミストクレスが策を用い、ペルシア王クセルクセスに艦隊の一部を島の反対側へ回らせ、サラミス海峡のギリシア艦隊を封鎖させると、エウリュビアデスもサラミスを戦場とするほかなくなった。紀元前480年9月のサラミスの海戦はギリシア側の決定的な勝利となった。
戦いの後、エウリュビアデスはペルシア艦隊の追撃に反対し、クセルクセスが築いた船橋を壊しにヘレスポントスへ向かうことにも反対した。王が脱出できるようにしておいたほうが、ギリシアに残って再び陸戦を起こされるよりよいと考えたのである。スパルタに戻ると、サラミスでの功績に対してオリーブの冠を贈られた。テミストクレスにも同様の褒賞が与えられた。
同じ年に亡くなった人物
- ラルス・ポルセンナ (紀元前 500年(推定))
- レウキッポス (紀元前 500年(推定))
- デマラトス (紀元前 500年(推定))
- クサントス (歴史家) (紀元前 500年(推定))
- エウテュミデス (紀元前500)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。