伝記
アゲラダスは、紀元前6世紀の後半から前5世紀の初めにかけて活躍したとされる、アルゴス出身の名高いギリシアの彫刻家である。ハゲライダスとも呼ばれ、碑文ではその綴りが見られる。ペイディアス、ミュロン、ポリュクレイトスという三人の大巨匠の師だったとされることが、その名声を高めている。ただし、これらの伝承は広い名声を示すものの、歴史的には疑わしいとも評される。大プリニウスはミュロンとポリュクレイトスの師としており、ほかの著者たちはペイディアスの師とも見ている。
活動した時期をめぐっては、彼の名に言及する著者たちの証言が食い違うため、多くの議論がある。パウサニアスによれば、アゲラダスは第66回オリュンピア競技の戦車競走で優勝したクレオステネスの像を、戦車、馬、御者とともに青銅で作り、オリュンピアに置かれた。同じオリュンピアには、デルポイのティマシテオスと、タラスのアノコスの像もあった。ティマシテオスは、前507年の第68回オリュンピア紀に僭主イサゴラスを倒そうとした企てに加わったとして、アテナイ人に処刑された。アノコスは、エウセビオスによれば第65回の競技の優勝者である。そこで、アゲラダスが前540年ごろの生まれなら、ペイディアスの師となりえたことになる。
一方、プリニウスは、アゲラダスがポリュクレイトス、プラドモン、ミュロンとともに第87回オリュンピア紀に盛りを迎えたとする。アリストパネスの古註も、メリテにあったヘラクレス像がアルゴスのアゲラダスの作で、第87回オリュンピア紀の大疫病のときに据えられたと述べ、これと一致する。さらにパウサニアスは、アゲラダスがナウパクトスのメッセニア人のためにゼウス像を作ったと記す。これは、アテナイ人がメッセニア人のナウパクトス定住を認めた前455年よりも後のはずである。
この矛盾を調停するため、プリニウスの年代が誤りで、ヘラクレス像はメリテに据えられるずっと前に作られていたのだという説が唱えられた。また、プリニウスの年代は正しいが、パウサニアスの挙げる優勝者の像は優勝から何年も経ってから作られたと考える学者もいる。しかし優勝の年代がほぼ近いので、これは非常に奇妙な偶然ということになる。最も有力な解決とされるのが、フリードリヒ・ティールシュの説である。それによれば、同名の芸術家が二人いて、一人はペイディアスの師で前540年ごろに生まれたアルゴス人、もう一人はプリニウスの年代に活躍したシキュオン出身者であり、アリストパネスの古註がこの人を有名なアルゴスの同名者と混同したという。二人ともアルゴス人だったと考える学者もいる。
作品としては、ギリシア音楽のディアトニック、クロマティック、エンハルモニオスの各様式をつかさどる守護神を表す三体のムーサ像のうち、一体がアルゴス人アゲラダスの作で、残る二体はシキュオンのカナコスとアリストクレスが作った。また、メッセネの貨幣に写されたゼウス像でも知られる。1972年にカラブリア沖の難破船の残骸から見つかったリアーチェの青銅像は、アルゴスの広場に置かれた群像に由来するとみられ、その群像はアルゴスとアテナイの彫刻家の共同制作だったとされる。一部にはテュデウス像をアゲラダスの作とする専門家もいる。ただし、この青銅像以外にはアゲラダスの作品は残らず、息子アルゲイアダスの名を含む碑文があるだけである。弟子には彫刻家アスカロスがいた可能性もある。
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