伝記
アラン=ルネ・ルサージュは、フランスの劇作家であり小説家、スペイン語翻訳家である。1668年5月6日に生まれ、1747年11月17日に没した。代表作は長編小説『ジル・ブラース物語』で、フランス初の職業作家ともいわれる。
ブルターニュ地方モルビアンのサルゾーで生まれた。父のクロード・ルサージュは王室の公証人で、知識人、著作家でもあった。早くに両親と死別し、14歳で父を失ったのち、後見人に財産を浪費されて貧しい暮らしを余儀なくされたが、ヴァンヌのイエズス会の寄宿学校に入り、質の高い教育を受けたという。ブルターニュの徴税の役所で5、6年働いたのち、パリに上り、哲学と法学を学んだ。1694年に、財産のない木工職人の娘マリーとサン・シュルピス教会で結婚し、3人の子に恵まれた。息子はのちに役者になった。弁護士になったが、収入が足りず、筆で暮らそうと試みた。ヴィラール元帥が手厚い条件で自分の下に迎えようとしても受けず、独立を守って貧しい暮らしを送ったと伝わる。
このころ、ライオンヌ神父が年600リーヴルの年金を与え、スペイン文学へ導いた。ルサージュはスペイン語を学んで、書物に昼夜没頭し、ロハス・ソリーリャやロペ・デ・ベガに感銘を受け、セルバンテスやカルデロンの影響も強く受けた。生活費を稼ぐため、多くのスペインの書物をフランス語に訳して刊行し、1700年にはロハスの『罰せられた裏切り者』やロペの作を訳して匿名で出した。1702年には『名誉の問題』が上演されたが、成功しなかった。『ドン・キホーテ』後編の訳の1704年刊行も、注目されなかった。
転機は1707年に来た。ゲバラの同名の長編を改作した処女長編『跛の悪魔』を発表し、悪魔に導かれて家々の屋根から内幕をのぞくという形でパリ社会を風刺した。この改作は、スペインの作者からは悪魔の着想と枠組みしか借りていない。悪魔の描き方には、独自の工夫があったとされる。同年には風刺戯曲を3作発表して文名を確立し、とくに『主人と張合うクリスパン』は絶賛された。『跛の悪魔』の評判は、第2版の最後の1冊を巡って、貴族2人が書店で剣を抜いて争うほどだったという。1709年の戯曲『チュルカレ』で名声を確かなものにした。この作品は傑作と評価されたが、作中で悪の権化として描かれた金融資本家たちから、上演の妨害を受けた。これを機にルサージュは喜劇の創作をやめ、オペラ・コミックを書く流行劇作家となった。戯曲の多くはテアトル・フランセで上演された。
1715年にスペインを舞台にした『ジル・ブラース物語』の第1巻を発表し、評判を呼んだ。1724年に第2巻、1735年に第3巻を出し、最終巻を没年の1747年に刊行して完結させた。挿絵は画家ジャン・ジグーが担当した。18世紀フランスの風俗を描いた資料にもなっている。英国のスモレットは、これにならって『ロデリック・ランダムの冒険』を書き、英訳も行った。ディケンズはこの作品をドン・キホーテ以来の最高のフィクションと評し、『跛の悪魔』の影響は『クリスマス・キャロル』にも指摘される。晩年はブローニュ=シュル=メールで没した。
同じ年に亡くなった人物
- ペドロ・サンス・ホルダ (1747年没)
- カール・レオポルト (メクレンブルク公) (1747年没)
- ヨハン・マティアス・フォン・ダー・シュレンブルク (1747年)
- リュック・ド・クラピエ・ド・ヴォーヴナルグ (1747年没)
- ヨハン・ヤーコプ・ディレン (1747年没)
同じ地域に関係する人物
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- エマ・ハミルトン (1815年没)
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- エドワード・オブ・ノリッジ (1415年没)
- Edward Gordon Williams (1915年没)