HISTORICAL PERSON · 525年没

キルデアのブリギッド

アイルランドの守護聖人の一人である修道女。貧者への過度な施しを父に咎められて修道院に入り、キルデア修道院をはじめアイルランド各地に多くの修道院を建てた。

生涯
525年没
死亡地
アイルランド(キルデア県 / キルデア (アイルランド))
出生地
アイルランド(Faughart)
出典
世界地図
アイルランド(キルデア県)

伝記

キルデアのブリギッドは、アイルランドのキリスト教の修道女で、451年頃に生まれ、525年頃に没したとされる。聖パトリック、聖コルンバとともにアイルランドの守護聖人とされ、カトリック教会、聖公会、正教会で聖人として敬われている。乳児、鍛冶屋、養鶏業者、私生児の守護聖人でもあり、詩、学問、癒し、家畜、乳製品の生産などとも結びつけられる。アイルランド最初の修道女で、同国の女子修道制の創始者とも見なされる。ただし史実として確かめられる事柄は少なく、伝記は逸話や奇跡譚が中心で、その一部は異教の民間伝承に由来するという。

言い伝えでは、ラウス県のダンドーク近郊で生まれた。父は異教徒の地方首長で、母はパトリックから洗礼を受けたピクト人のキリスト教徒だったとされる。母については、海賊にさらわれてアイルランドで奴隷となったポルトガル人とする別の説もある。名はケルト神話の女神に由来する。奴隷として生まれた母と同じく家事に仕え、幼い頃から慈善で知られたともいい、評判が高まるにつれて父は娘に自由を与えるよう説得されたという。

ブリギッドは敬虔で心優しく、慈悲を求めて父の家を訪れる貧者に、いつも施しをした。牛乳や小麦粉などの品に加え、ついには父の宝石をちりばめた剣までハンセン病患者に与えてしまい、父を怒らせた。父は娘が尼僧として生きるのがふさわしいと考えた。思春期には多くの求婚者がいたが、純潔の誓いを立てていたため、すべて断ったとも伝えられる。468年頃にキリスト教徒になったとされ、その頃、司教たちに従ってテフバ王国へ移ったという。

伝承によれば、480年頃、神聖視された大きな樫の木の陰に庵を建て、キルデア修道院を創設した。そこは宗教と学問の中心となり、周囲にキルデアの町が形成された。ブリギッドと最初の7人の弟子が、アイルランド初の女子修道共同体を組織した。修道院は女性の共同体と男性の共同体を併せ持つ、ヨーロッパ最初の複合修道院とされ、隠修士コンレスが組織と布教を助け、初代キルデア司教になった。513年頃には聖カエサリウスの戒律を採用したとされる。キルデアには金属細工や装飾写本を扱う美術の学校もあり、その写字室から『キルデアの書』が生まれたが、宗教改革の際に失われた。各地に修道院を建て、コナハトやエルフィン教区にも多くの教会を創立したと伝えられ、聖パトリックとの親交も『アーマーの書』に描かれている。

525年頃にキルデアで没し、自ら創設した修道院に葬られた。後継の修道院長は弟子のダルルグダッハである。遺骸は9世紀後半、スカンディナヴィア人の襲来を受けてダウンパトリックへ移され、パトリックやコルンバの墓と並んだ。頭蓋骨は、リスボンのサン・ジョアン・バプティスタ教会に運ばれ、今も保存されているともいう。信仰はアイルランドの宣教師らによって大陸に伝えられ、ベルギーには礼拝堂が建ち、ドイツ、スカンディナヴィア、フランス、イタリア、ポルトガル、カナリア諸島にまで広がった。ドイツ西部の農村では20世紀まで家畜の守護聖人とされた。アイルランド中に献身が広まり、ゲールのマリアと呼ばれた。その名は長く人気を保ち、かつてはどの家にもパトリックとブリギッドがいると言われたほどだったという。キルデアでは、聖なる火が何世紀も燃やし続けられた。祝日は2月1日で、古くは春の始まりを告げる祭りだった。2023年からはアイルランド共和国の祝日である。

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