伝記
アントニオ・ストラディバリは、イタリア北部のクレモナで活動した弦楽器製作者である。生年は1644年から1649年のあいだとされて議論があり、没したのは1737年12月18日である。ニコロ・アマティに学び、16世紀後半に登場したヴァイオリンの様式を完成させたことで知られる。ストラディバリウスと呼ばれるその作品は、21世紀の現在も約600挺が残り、最高級の楽器として、きわめて高い価値をもつ収集品とされている。
生年は、のちの楽器の記録から1644年と考えられているが、正確な誕生月日は分かっていない。1668年と1678年の戸口調査には彼が若返ったように記されていて、1647年から49年にかけて戦乱で難民が出た際の記録の欠落が理由と推測される。家は少なくとも12世紀か13世紀までさかのぼるクレモナの名家で、姓の由来には、ロンバルディア語で「通行料の徴収人」の意味とする説と、クレモナ方言で「開けた道」にちなむとする説がある。両親はアレッサンドロ・ストラディバリと、レオナルド・モローニの娘アンナで、1622年8月30日に結婚した。幼少期についての記録はなく、クレモナにいたことを示す最初の証拠は、1666年の現存最古のヴァイオリンのラベルである。
ニコロ・アマティへの弟子入りは、12歳から14歳のころとも、1667年から1679年ともされ、時期に諸説がある。1666年の楽器のラベルに「ニコロ・アマティの弟子」と記されていることが主な根拠だが、アマティの名を繰り返し記したわけではなく、初期の楽器はアマティのものにむしろ似ていない。アマティ門下に共通の技法の痕跡がないことから、フランチェスコ・ルジェーリに学んだのではないかという見方や、1667年から1680年まで住んだ家の持ち主が木彫・象嵌の職人だったことから、まず木工から始めたのではないかという説もある。1680年にクレモナのサン・ドメニコ広場に自分の工房を構えると、若くして名声を得た。
独創性は、アマティの様式を改めることで発揮された。ばらつきのあった板の厚みをより厳密に制御し、渦巻きの形の概念を確立し、音色を引き締めるニスをより濃い色にした。ヴァイオリンの特徴から、作品は三つの時期に分けられる。最後の時期には、胴の長さを約3ミリ広げて355ミリ前後とした。これはのちに「ロングモデル」などと呼ばれ、18世紀初頭に標準だった旧イタリア式の352ミリ前後より、少し長い。二人の息子や雇った多くの職人とともに、短期間に大量の弦楽器を作り、生涯に1,116挺を製作したとされ、一説には1,300挺ともいう。1,300挺とすれば、月に20挺のペースになる。ヴァイオリンのほか、ヴィオラ、チェロ、マンドリン、ギターなども作った。
1737年12月18日にクレモナで亡くなり、サン・ドメニコの教会に葬られたが、この教会は1868年に解体され、遺骸は失われた。自宅と工房は三男パオロが相続した。パオロはヴァイオリン職人ではなく織物商で、父と二人の兄から受け継いだ製作道具を、クレモナ市内で使わないことを条件に売却した。1745年にはほとんどの楽器職人がクレモナを去り、弦楽器製作の伝統は途絶えた。今のクレモナは弦楽器製作の町として復興しているが、他の地域から移入された技術によるもので、ストラディバリの技術を再現する試みは現代まで続いている。
同じ年に亡くなった人物
- キャロライン・オブ・アーンズバック (1737年没)
- カール・アレクサンダー (ヴュルテンベルク公) (1737年没)
- ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン (1737年没)
- Alessandro Galilei (1737年)
- グイード・フォン・シュターレンベルク (1737年没)
同じ地域に関係する人物
- エッチェリーノ3世・ダ・ロマーノ (1259年没)
- ボッカチオ・ボッカチーノ (1520年代没)
- Gerino Gerini (2013年没)
- Bruno Boni (2003年没)
- チリアコ・ダンコーナ (1452年没)