伝記
ヨエルは、『旧約聖書』に登場する預言者である。十二小預言書のうち二番目に置かれる「ヨエル書」の著者とされ、ヘブライ語聖書では「ヨエル書」の冒頭でペトエルの子として一度だけ名が挙げられる。名前はヤハウェに神を意味する接尾語エルを組み合わせたもので、「ヤハウェは神」あるいは「ヤハウェを神とする者」、つまりヤハウェの崇拝者を意味すると訳される。
生きた時代ははっきりしない。一部の研究者は紀元前9世紀の人物かと示唆し、別の研究者は前5世紀か前4世紀頃の人物と見る。ユダヤ教の一部の伝えでは、ヨエルはユダ王マナセの時代(前688年から前642年)に生き、預言者ナホムやハバククと同時代だったとされ、純粋なヘブライ語が使われていることもこの説の根拠に挙げられる。一方、一般にはヨエルは前400年頃の人とされる。「ヨエル書」にも年代の手がかりとなる王への言及はない。ただ、ユダ王国の苦しみと、すでに確立したエルサレム神殿への言及があることから、何人かの研究者はバビロン捕囚後、第二神殿の建設後の成立と考えている。また、「ヨエル書」は初期アッシリア時代を舞台としているが、ヤハウェの日に関するテキストの使い方や、ヤハウェと諸国家についての考え方から、プトレマイオス朝時代(前301年から201年頃)に完成したと見る向きもある。
出身はユダ王国のユダヤ人で、ユダ族に属したと推測されている。預言の特徴から見て、ヨエルは生きた年代によって、ソロモン神殿あるいは第二神殿の儀式に関わった預言者だった可能性が高いとされ、新しい神殿の悔い改めの典礼に言及することから、そこで祭司職に就いていたのかもしれないともいわれる。「ヨエル書」は前半で、ユダを荒らすいなごの害が嘆きと祈りの典礼を引き起こし、ヤハウェが災いの終わりと豊かさの回復を約束する様子を描く。後半は黙示的な文体で、諸国民への裁きとヤハウェとイスラエルの最終的な勝利を語る。二つの部分は「ヤハウェの日」への言及で結ばれており、いなごはその裁きを執行するヤハウェの軍勢とされる。この書は神殿で行われた説教の記録ではなく、読まれることを目的とした書かれた作品であり、預言の流れの終わりに位置するという。
古い伝承では、ヨエルはイスラエル北部の町に葬られたとされる。現在その町の西の郊外には、古代のいくつかの墓を含む、長年ヨエルの墓と考えられてきた建造物がある。
後世、ヨエルの言葉はキリスト教で重んじられた。「わたしはすべての肉なる者にわたしの霊を注ぐ」という預言は、使徒言行録によれば、聖霊に満たされた使徒たちが様々な地域の言葉で語り合うという出来事のあと、聖ペテロがペンテコステの説教で引用した。居合わせた人々が「新しい酒で酔っ払ったのだろう」と嘲ると、ペテロは酔っているのではなく、ヨエルの預言したことが起きたのだと述べて教えを説いた。このためヨエルはペンテコステの預言者と呼ばれ、断食と祈りへの呼びかけはキリスト教の四旬節の典礼にも取り入れられた。正教会の古い賛美歌作者はヨエルの預言をキリストの誕生と結びつけ、アナトリオスは「血」を受肉、「火」をキリストの神性、「煙の柱」を聖霊を指すと述べた。祝日は正教会暦で10月19日、ローマ殉教録では7月13日、アルメニア使徒教会では他の十二小預言者とともに7月31日に祝われる。なお、「ヨエル書」にある古代ギリシア人への言及は、彼らが前1600年から前1100年頃のミュケーナイ時代からユダ王国と接触していたため、年代を決める助けにはならなかった。
同じ年に亡くなった人物
- カリノス (紀元前700)
- シャバタカ (紀元前700)
- アナクサンドリデス (スパルタ王族) (紀元前 700年(推定))
- Stasinus (紀元前700)
- Senkamanisken (紀元前700)
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