伝記
ペルディッカス一世は、紀元前七〇〇年から前六七八年にかけて在位したとされる、アルゲアス朝のマケドニア王である。トゥリマスの子でその後継者とされる一方、マケドニアで最初の王に位置づけられることもある。トゥリマスの父はコイノスとされ、この系譜を採る場合にはペルディッカスはその孫にあたる。王家の出自を語る伝承では、英雄ヘラクレスの血を引くテメノスの末裔とされ、兄のガウアネス、アエロポスとともにアルゴスを離れてイリュリアへ逃れた。三兄弟はさらに山を越え、上マケドニアに入り、レバイアという町にたどり着いた。そこで土地の王に雇われ、兄たちは馬と牛の世話をし、末弟のペルディッカスは小さな家畜を飼って暮らしたという。
三人を養うパンは王の妻が焼いていたが、不思議なことに、ペルディッカスの分だけが焼くたびに二倍の大きさに膨らんだ。妻からこの話を聞いた王は、何か重大な出来事の前触れだと考え、三兄弟に領地から立ち去るよう命じた。兄弟は出て行く前に働いた分の賃金を払うよう求めたが、王は腹を立てた。王と兄弟がいた部屋には、煙を逃がすための穴から日光が差し込んでいた。王はその光を指して、これをお前たちにふさわしい賃金として与えると言い放った。二人の兄は驚いて動けなかったが、幼いペルディッカスだけは、それを受け取ると答えたという。
ペルディッカスは小刀を取り、床に映る日光の輪郭をなぞった。そして光をすくい取って衣の懐へ入れるしぐさを三度繰り返し、兄たちとともにその場を去った。この行為は、光が照らしている土地と王権を自分のものとして受け取ったことを象徴すると解されている。兄弟が出発した後、王は部下から、末弟の行動が重大な意味を持つと告げられた。そこで騎兵を送り、三人を殺そうとしたが、追いつくことができなかった。兄弟が川を渡り終えた後に水かさが増し、追手は渡れなくなったという。三人はそのまま逃れ、ベルミオン山のふもと、ミダス王の園と呼ばれる土地の近くに住みついた。こうして新たに得た場所を足場として周囲を征服し、マケドニアに王国を築いたと伝えられる。
ペルディッカスの治世には、マケドニア人がハリアクモン川とアクシオス川の河口の間にあるテルマイコス湾沿岸へ進出したとされる。ミダスの園を拠点とする征服は、南北のマケドニアにも及び、主にパイオニア人やトラキア人の領域が取り込まれたという。ただし、王国の領域拡大は段階的に進んだもので、その過程は三世紀半にわたって続いたとされる。三兄弟の建国の物語と、後代までに達成された領域の拡大とは、同じ時期にすべて起こったものではない。王家が祖地としたアルゴスについても、ギリシアのアルゴスではなく、上マケドニアのオレスティス地方にあった同名の町であった可能性が指摘される。妻にはフリュギア王ミダスの姉妹クレオパトラがいたとされ、その子アルガイオス一世が次の王となった。また、ペルディッカスはアイガイを王家の墓所に定め、自分をそこに葬り、後継の王たちも同じ場所に埋葬するよう命じたという。王たちの遺骨がそこにとどまる限り、王権は自分の家に保たれると予言したと伝えられている。
同じ年に亡くなった人物
- Stasinus (紀元前700)
- ヤージュニャヴァルキヤ (紀元前 700年(推定))
- キュロン (紀元前700)
- テュルタイオス (紀元前700)
- Senkamanisken (紀元前700)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。