伝記
ジャービル・ブン・ハイヤーンは、8世紀後半から9世紀初頭にかけてバグダードかクーファで活動したとされる錬金術師である。アラビア語で著作を書いたイスラーム圏の学者で、いくつかの著作が12世紀頃にラテン語に翻訳され、ヨーロッパの科学・学術にも影響を及ぼした。西欧ではゲーベルというラテン名でも知られる。
伝えられる生涯によれば、721年ごろにホラーサーンの町トゥースで生まれ、薬草医を生業とし、815年ごろにクーファで没した。青年期には、748年のアッバース革命を経験した。同じく薬草医だった父ハイヤーンはアッバース家に味方して権力闘争に巻き込まれ、ウマイヤ家の支持者に捕まって処刑されたため、ジャービルは生まれてまもなく孤児になったという。ただし出自を表す名は文献ごとに異なり、バリク、クーファ、トゥースといった地名が現れる。ホラーサーン生まれでのちにクーファで暮らしたという説と、シリア生まれでのちにホラーサーンやクーファで暮らしたという説とがあり、父はアラブ人の部族の一員とされ、民族的な出自も曖昧である。アッバース革命後、シーア派のイマーム、ジャアファル・サーディクの弟子になり、錬金術その他の叡智を授けられたという伝説もある。ジャービルが著作の中でサーディクに言及する際に「わが師によると」と付していることが根拠に挙げられるが、シーア派文献には弟子だったという記録が見当たらず、歴史学者には検証できない伝説とみなされている。
ジャービルの名のもとには、非常に多くの文献が帰せられており、ジャービル文献と総称される。化学、薬学、冶金学、天文学、哲学、物理学、音楽などにわたり、著作は400を超えるともいわれるが、残るのは20ほどである。塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法、金などを融かす王水、クエン酸、酢酸、酒石酸の発見、アランビックと呼ばれる蒸留装置、アルカリの概念などが彼の業績とされる。金属の性質は硫黄と水銀の比率で変わるとする説は、中世ヨーロッパにも引き継がれた。12世紀にラテン語へ訳された『化学の書』は、錬金術、ひいては化学の語源となったとされる。思想には、古代ギリシア、古代エジプト、イスラームの神秘思想が総合されていると考えられ、ヘルメス・トリスメギストスやピタゴラス、ソクラテスらに敬意を払った。一方で、数秘術や秘教的な要素を含む文献が多く、イスマーイール派との関連が指摘されている。
もっとも、ジャービルは半ば伝説的な存在で、実在しない架空の人物だという説が唱えられたこともあった。10世紀末バグダードの書籍商イブン・ナディームは、987年ごろ成立の『フィフリスト』で、ジャービルを自分たちの一人だとするシーア派の一派がいたこと、論理学と哲学の本を書いた哲学者の一人にすぎないという人々がいたこと、真にジャービルが書いたのは「大いなる慈悲の書」だけだとする人々がいたことを記した。イブン・ナディーム自身は非実在説に反論した。著作の多くが後世の弟子の手によるのではないかという疑いは、早くも10世紀に指摘されていた。20世紀には、ジャービル派のアラビア語文書が10世紀のイスマーイール派によって編纂されたことが明らかにされたともいう。
13世紀以降のラテン語訳のみが残る『マギステリウム完成の梗概』も彼の名によるもので、中世ヨーロッパの主要な化学の教科書だったが、原著とみられるアラビア語のものは残らず、「偽ゲーベル」の書と呼ばれることもある。不明な点は多いが、中世ヨーロッパの錬金術において、その名がもっとも権威あるものと認められていたことは確かである。
同じ年に亡くなった人物
- マーシャーアッラー (815年没)
- ティデ・ソンツェン (815年没)
- Maruf Karkhi (815年没)
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