伝記
アエリア・アリアドネは、東ローマ帝国の皇后である。515年に没した。ゼノンとアナスタシウス1世の二人の皇帝の妻となり、東方正教会では聖人として崇敬され、その記念日は8月22日である。
皇帝レオ1世と皇后ウェリナの長女として生まれた。母ウェリナはバシリスクスの姉妹である。妹のレオンティアは、はじめアスパルの息子パトリキオスと婚約したが、471年にアスパルと別の息子アルダブルが暗殺されたため、この婚約はおそらく解消された。レオンティアはのちに皇帝アンテミウスの息子マルキアヌスと結婚し、夫妻は478年から479年にかけてゼノンに対する反乱を起こしたが失敗し、イサウリアへ流された。463年には名の伝わらない弟が生まれたが、生後5か月で世を去った。
アリアドネが生まれたのは、先帝マルキアヌスの死(457年)より前である。457年にレオがアスパルの支持を得て皇帝に擁立され、アリアドネは皇族の一員となった。461年、レオはアスパル配下のゲルマン系兵士に対抗するため、イサウリア人を中心とする近衛部隊エクスクビトレスを創設した。466年、その将校であるイサウリア人タラシコディッサが、アスパルの息子アルダブルの反逆の証拠を持ち出し、この事件を機にレオはアスパルから距離を置き、エクスクビトレスにいっそう頼るようになった。467年、この同盟を固めるため、アリアドネはタラシコディッサと結婚した。夫はローマの有力層やギリシア語を話す都の住民に受け入れられやすいよう、名をゼノンと改めた。同じ年のうちに、一人息子のレオ2世が生まれた。
471年、アスパルとアルダブルはレオの命により大宮殿で殺され、レオは「屠殺者」の異名を得た。ゼノンは軍におけるレオの主な支持者となった。473年10月にレオ2世がカエサルとされ、474年1月18日にレオ1世が赤痢で没すると、孫のレオ2世が即位した。幼い皇帝に代わり、アリアドネと母ウェリナが働きかけ、2月9日にゼノンが共同皇帝として戴冠した。同年11月17日にレオ2世が病没するとゼノンが単独の皇帝となり、アリアドネは皇后となった。
ゼノンの治世は人気がなく、蛮族の出であることが都の住民の反感を買った。475年、ウェリナとバシリスクスが陰謀を企て、都で民衆の反乱が起きた。ゼノンは義母ウェリナに説かれて都を離れ、故郷へ逃れ、バシリスクスが皇帝に擁立された。476年にイッルスらがゼノン側に寝返り、ゼノンが都を包囲すると元老院が門を開き、ゼノンは帝位に復した。このときもアリアドネは皇后のままであった。
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